命をおびやかされるような状況に直面すると、心は処理しなければならない情報の範囲を狭め、量を大量に減らす
同じく 『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』 より。(私は読んでないけれど。)
(「量を大量に減らす」という表現が一瞬頭に正反対の図が浮かんで混乱したけれど、「量を最小限に絞る」ってことか。)
これは、車の助手席に乗っていた時に遭った衝突事故で経験したことがある。
あ、あれは「心」じゃなく脳の情報処理か。
でもシステムは同じようなことかも。
事故に遭った時、車がぶつかって体に衝撃を受けた瞬間から顔をダッシュボードに打ち付けるまでの0.数秒の間、突然音が消えて視覚がスローモーションのコマ送りになって、時間が引き延ばされた。
目の前に迫ったダッシュボードが黒かったのでわからなかったけれど、多分色彩の情報もカットされて視覚情報はモノクロ処理されていたんじゃないかと思う。
数秒間は痛みの感覚も完全に消えていた。
命が脅かされる危機的状況になると、脳はそうやって扱う情報を最小限必要なものだけに絞って高速処理することで、その状況を切り抜けようとするらしい。
でも、せっかく脳が情報を高速処理して周囲がスローモーションになったのに、私はただぼんやり「あ、あ、あ、あ、ぶつかるー」と、顔面に迫るダッシュボードを見つけていただけだった。
スポーツなどをしていて普段から脳の指令が瞬時に体の各部に届くような人だったら、ああやって周囲がスローモーションになったら、その間に顔をよけたり手でガードしたりできるんだろうか。
もしあれがピストルの弾が飛んできたりナイフが自分の胸に深々と刺さる瞬間だったりしたら、何もできないのにただそれを引き延ばされた時間の中でゆっくり眺めて自分が壊されていくところを長々と見ているくらいなら、普通の時間の流れの中であっという間にやられてしまった方が望ましい気がするんだけれど。
まあ、経験上、痛みは感じなくなるようだからいいけれど。
追記
で、顔をダッシュボードにしたたかに打ち付ける瞬間(確か、打ち付ける直前から)には、「走馬灯」。
子どもの頃のすっかり忘れていたなんでもない情景やなんかが本当に走馬灯のようにコマになって、無音でパラパラと右から左に流れていった。
脳に強い衝撃が走ったことで、記憶を司っている部分に電気信号でも走って甦ったのか。