「ただいま、おかえり、おかえりなさい」。
埋められない空洞を埋めようとしているかのように繰り返されることば。
不安定で退屈で衝動的で表面的な中学生たち。
1月にノーカット放送されていたのを録画しておいた、1985年の『台風クラブ』。
私自身の中学、高校時代の記憶とは重ならない風景が多いけれど、懐かしい。
記憶を揺さぶるのは、こちら側の教室の窓越しに見える向かいの校舎の窓の中の人かげだったり、両側に並んだ廊下の窓だったり、塗装が剥げて木目が浮き出した柱だったり、教室の喧騒だったり、
クラスメイトの芝居がかった口調だったり、いかにも文化部系の女の子たちだったり、ひとつだけ明かりが点いた教室から暗い夜の校舎に響くざわめきだったり、台風が近付いてくる時のざわざわした胸騒ぎや興奮だったり。
台風が近付いてくる時のざわざわは、文化祭前夜に似ている。
大きく唸る風の音に不安を煽られ、不安なのにワクワクしてじっとしていられなくなる。
何か大きなものが覆いかぶさるようにやってくる不安と期待。
静かな熱気。
前後の日々から切り取られた非日常。
「俺たちには、厳粛に生きるための厳粛な死が与えられていない」
10代の頃に見ていたら、何も深く考えず退屈な日常を過ごしているように見える生徒たちや、無理矢理テンションを上げているようなどこか白けた馬鹿騒ぎや、わかったような口をきく中学生などが、気に障ったり鼻に付いたりしただろう。
自分はどの瞬間ももっと真剣に必死で生きていて、もっと心底ハイでめちゃくちゃな馬鹿騒ぎが出来て、もっと深く考えていると思ったに違いない。
おとなが、かつて自分の中にあった危うさや不安定さを懐かしむためにおとなの目線で作った青春映画。
ずっと前にも一度見ようとしたんだけれど、その時にはすぐに見るのをやめてしまった。
成長の遅い私は、10代から遠くなった今、やっと見ることができたような。
(「1985年でこの年って…?」と、工藤夕貴が私より結構年下だったことにびっくり。
年上だと思っていた。)