アウトサイダー、音楽、マリワナ、コカイン、LSD、西への憧憬、言葉の洪水、イメージのコラージュ。
ほとんど記憶から消えかけていたけれど、番組表でこのタイトルを見て「ああ、そんなのにハマっていた頃もあったなあ」と思い、録画しておいた映画。
Saに貸す約束をしていたのでDVDにダビングしようとして、どうせならCMカットしておこう、それならついでに目を通しておこう、と3倍速で見始めたけれど、字幕を読んでいるうちにだんだん当時の感情を思い出し、字幕全部に目を通すために途中から2倍速に落とし、そのうち音楽も聞きたくなって1.5倍速にし、最後には標準にして、もう一度頭から再生し直していた。
そういえば、私の卒業論文は「幻覚意識と愛」だった。
(タイトルからしてエッセーだ。教授もよくあんなもので点をくれたものだ。)
タイトルから想像できるように、レジュメを作った頃、ビート・ジェネレーションにハマっていたらしい。
(確か、二笑亭やルードヴィッヒのことも書いていた気がする。)
最初から「私に論文なんて書けるわけがない」(短いレポートの代筆はバイトで時々やってたけれど)と開き直り、論文らしい構造にして参考文献さえ二十冊ほど列挙しておけばそれらしく見えるだろうと書き並べ、後は、中学の頃からずっと不可解だった、人と共有できない自分の感覚や感性について、その答えをどこに求めたらいいのか手探りしながら書き綴ったように記憶している。
ある特定の旋律で得られる快感にのめり込み、麻薬のように何時間も一曲リピートし続けた音楽、
断片的な映像や写真への強い引き込まれ方、
空間や場所への偏執的な固執、
脳裏にある風景への強烈な憧憬、
そのまま破滅してもいいと思えるほどの陶酔感やトリップ感。
そんなものを延々と並べ立て、強引な引用をしてそれらになんらかの仮説や解釈や意味付けをして、むりやり論文の形に仕上げたような気がする。
あ、映画の話だった。
「ケルアックは人生に普遍的な意味を求めなかった」
人生に普遍的な意味なんて求めるものなんだろうか?
ケルアック、ギンズバーグ、バロウズ。
おとなになりきれないまま、引き伸ばされた幸福期の中で人生を終えた人たち。
(ジョニー・デップが出演していることは知っていたのに、どれがデップなのか気付いたのは、映画が終わる直前。)