元旦のことを書いたついでに。
元旦の午後、風を通しに入った本の部屋の床にほこりが積もっているのに気が付いて、掃除機をかけた。
(こどもの頃、「今年からは心を入れ替えて!」と張り切って元旦に玄関を掃き掃除して、父に「元旦から掃除するやつがあるか! 正月から福を掃き出すとは!」と叱られたことがあったっけ)
久しぶりに入った本の部屋は古書店のにおい。
この部屋を掃除するのって何年ぶりだろう。
以前は、数千冊ある蔵書ほぼ全て、どの本棚の何段目の手前から何列目の左からだいたい何冊目にあるかをすぐ言えるくらい偏執的に整理して、神経質なほど湿度やほこりを気にして管理していたんだけれど。
いつからか本を手にしなくなって、代わりに、速読を始めたRの本がとんでもない勢いで増え始めて収拾つかなくなってきて、完璧に整理していたものがいったん崩壊し始めるとどうすればいいかわからなくなって、この部屋にはほとんど踏み込まなくなってしまった。
文房具のストック(大量にある…)や何か必要なものを取りに入ることはたまにあったけれど、目的の場所しか見ていなかったので、掃除機をかけるのに床の上に放置されたものひとつひとつを意識したのは本当に久しぶり。
当時は大切なものに思えていたメモ書きや記録、古いスケジュール帳、欲しかった本のリスト、Rに読み聞かせようと残してあった切り抜き、読み返そうと思っていた本、ファイリング途中のスクラップ。
10年以上封印していた記憶が詰まっていて苦しい。
「この山はまだきれいにしてない。まぜたらだめ」
床に落ちていた、Rあての私の走り書きメモ。
ああ、そうだ。
本のほこりに神経質な私は、Rがリビングや廊下に積みっぱなしだった本の山を時々まとめて部屋に運び込んで書棚の中のものと入れ替えようとするたびに、「ちょっと待って!」とストップをかけて、一冊一冊、表紙と裏表紙をクロスでぬぐって天地と小口を掃除機の小物用ブラシで吸ってたんだった。
休日のそんな作業中、何かで中断して、そのまま十年ほど経ってしまった。
「まぜたらだめ」と書いておいた山は、とっくに他の本と混じってどこかに消えて、メモ紙だけが残ってる。
ほこりが気になりつつも、それをきっちり管理する気力や体力がなくなってきて、清潔にしていた本とほこりに汚染された本とが混じり始めて、それがストレスで目を背けて、ますます本の部屋に立ち入らなくなったんだ。
掃き出し窓際のスチールラックの上に放置されていた、『インターネットイエローページ』と『日本のホームページ100000 97年版』。
一時置きしたつもりが、19年経っている。
検索エンジンができる前は、雑誌記事やこういう冊子で見たいページを探して、URLを手打ちしてたっけ。
いや、「検索エンジン」という呼び名自体、過去のものか。
『日本のホームページ100000』の中の「個人のホームページ」。
ウェブサイト名とURLが電話帳のようにびっしり。
そう、正確なサイト名がわからないと目的のページにたどり着けない時代だった。
「○○の部屋」って名前のウェブサイトが多かった時代。
「ほめぱげ」も懐かしい。
廃品回収に出そうと手に取ったけれど、並んだホームページ名を眺めているうちに捨てられなくなってきた。
夥しい墓碑銘のよう。
ああ、過去を封じ込めて壁面に立ち並ぶ本棚自体、墓碑のようだ。
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