昨日見つけた脇道。
仕事中、普段車で通っている場所に歩いて行ったら、途中、こんな隠れた抜け道があるのを見つけた。
ほんの数分だけれど息抜きできる。
そう言えば子どもの頃住んでいた近くにも、こんな自然公園があったっけ。
その頃は結構大きな山に思えたけれど、今行くとどうだろう。
その公園には池があって、小学生の頃、学校の子らが「あそこに猿の赤ちゃんの死体がある」と騒いでいて、誰かと見に行ったことがあった。
どきどきしながら誰もいない林の中の池の縁をまわったけれど、岸のあたりには見つからず、池の向こうの方に、木の枝なのかごみなのか猿なのかわからない何かが浮いていたようななかったような。
その池と一緒に思い出すのは、小さな妹のピンク色のビニールのサンダル。
妹と誰かもうひとり友達と一緒にその池に行った時に、妹が水際にサンダルを落としてしまったことがあった。
サンダルはすぐ手が届きそうなところに落ちたのに、一緒にいた子とふたりで手を伸ばしたり棒でつついて取ろうとしたりしているうちにどんどん遠くに行ってしまい、もうおとなが来てもとても手が届かないとはっきりわかるほど向こうに行ってしまってから、呆然としたのを覚えている。
すぐそこに落ちたのに、なんでこうなってしまったんだろう。
まだそこに見えているのに、と、妹の大事なサンダルを残して立ち去るのがとても悲しくて、泣きべそをかく妹と一緒に泣きたい気持ちで日の暮れかけた池をあとにしようとしたところまでは覚えているけれど、そこからどうやって帰ったのかは覚えていない。
泣いている妹がかわいそうなのと、大事なものを目の前で失った悲しさ、無力さと、池に遊びに来たことが親にばれて叱られてしまう、妹のサンダルを失くしたことを叱られてしまう、という不安と。
あの池を思い出すと、そこにはいつも、それらがない交ぜになった気持ちを抱えて小さな妹の手を引いてそこに立ち尽くしている自分の姿があって、もういいんだよ、と言いたくなる。