青色で「あ」と書いてあったら気持ち悪い。
「山田」がピンクでも気持ち悪い。
青いご飯のようなかんじ。(気持ち悪くて食欲失せるのでダイエットにいいらしい)
ある感覚を遮断することで幻覚・幻聴が起きやすく、そのことが共感覚に関係あるということは、
(以下、
その本を読んでないので私の勝手な推測)
何かの感覚が欠落してたり脆弱だったりした場合、残った感覚での共感覚が起きやすいのかもしれない。
で、アスペルガーや発達障碍の人は、特定の感覚に鈍い部分があることが多いので、共感覚のようなものが起こりやすいのではないかと思った。
「黄色い声」は普通に一般に通じるし、「甘い音色」も特別な表現じゃないから、誰でも多少の共感覚はあると思うし
(でないと、擬態語は伝わらないだろう)、
共感覚はスペクトラム(連続体)だと思うんだけど、
共感覚者が100人にひとりとか何万人にひとりとか言うのは、どこまでをカウントしているんだろう?
「黄色い声」がレベル1で、食べた物の味が目の前に図形として出現してそれに触れることができるのをレベル10とするなら、白黒の新聞の紙面がカラーに見えるのは8くらいで、私くらいは3あたりになるのかな。
その連続体のどこからを「共感覚者」と呼ぶんだろう。
擬態語と言えば、私の話は擬態語がやたら多いと繰り返し言われた時期がある。
状態を説明するボキャブラリーが貧困なのか、言葉を捜すのが面倒なのか、つい擬態語に頼ってしまって。
より的確に伝わるようにと思って、「そこはペヒペヒって感じで」とか「パギパギだった」など、自分ではすごくわかりやすく表現していたつもりだったけれど、「それじゃあサッパリわからん」と言われて、万人が音に同じイメージを持っているわけではないと気が付いた。
擬態語はひとことで表面の質感も質量も湿度も表現できて便利だと思っていたけれど、違ってた。
そんな私のあたまは、ぱすんぱすん。