「英国の犯人が手配写真を自ら提供、警察は謝意」 (エキサイトニュース)
英国で住宅強盗の容疑で警察から追われていた男が、警察が捜査のため公開した手配写真が気に入らないとして、地元紙に自ら自身の写真を送り付けた。
(中略)
警察は「スワンシーの人々は、現在の彼(同容疑者)がどのような風貌(ふうぼう)なのかを知ることができる」とコメント。捜査に協力したとして同容疑者に謝意を表明した。
(エキサイトニュース 2009.11.8 より)
最近は人に写真を撮ってもらう機会がほとんどなくなって、たまに撮ってもらうと、自分とは思えない人物が写っていて毎回驚いてしまう。
なんで鏡で見る顔や姿とこんなに違うのか。
なんで自分撮りした写真とこんなに違うのか。
「それがほんとの姿なんだよ。みんなが見てるおまえはそれなんだよ」というRのことばに、きっとそうなんだろうとは思うものの、こんなみっともない姿を人目に晒しているかと思うと恥ずかしくて耐えられない。
(鏡に写っている姿は存分に人前に出せるようなものかと言えば決してそうではないけれど、それが自分ではぎりぎり許容範囲なので。)
「えーっ! これは他の人が写ってても焼き増して渡さないで!」と言いたくなるような写真が増えてきたのは、30代になってからのような気がする。
そう言えば、高校生くらいまでも、写真に写った自分にずいぶん違和感を持っていた。
と言うことは、人に撮られる写真と鏡で見る自分・自分撮りした自分との差があまりなかったのは、10代の終わりから20代の終わりまでくらいってことか。
人に撮られても普段自分で思い描いている自己像とそんなに大差ないものと油断していたところへ、いきなりその認識を大きく打ち砕いてきたのは、20代の終わり頃に雑誌に載った写真だった。
ちょうど家を建てた頃に、家を建てる際にいくつか実例を参考にしていたインテリア誌で賞金付きのインテリア募集があったので、万が一入賞すれば少しでもローン返済の足しになるかと応募したら、小さな賞を受賞。
で、編集の人とカメラマンが家に撮影に来て、びっくりしてうれしくて、確か年賀状か何かに「雑誌に載ります!」と書きまくったら、発売日になって届いた雑誌を見て「ぎゃー! 何、これーっ!!」
とんでもない顔が写っていて大ショック。
思わずすぐにページを閉じて人に言ってまわったことを後悔して、できることなら全国の雑誌を回収してまわって欲しいとさえ思ったほど。
たぶん誰も雑誌に載ってる他人の顔なんてほとんど気にしないだろうけど、この顔が全国にばら撒かれたのかと思うとショックは大きかった。
もしあれが指名手配写真で、あんな写真が名前とともに大きく方々に貼り出されたら、私も「これと差し替えてくれ」と自分で選んだ写真を送り付けたくなるかも知れない。
人から見た姿と違う(らしい)自分撮り写真だったら「これじゃあ誰だかわからん」と却下されてしまうかもだけど。
(それにしても「謝意」にびっくり。)