昨晩は5時間という半端な睡眠時間だったけれど、久しぶりにたっぷり夢を見てなんだかお腹いっぱいになって目覚めた。
人が出てくる夢を覚えているのは、長らくなかったこと。
私がいたのは、大学のゼミの研究室。
研究室と言っても、映像作品や造形作品のゼミなのでアトリエに近いもので、夢の中では街中のショッピングセンターのピロティに面したガラス張りの空間になっていた。
時刻は遅い夕方で、ピロティの反対側の窓から射し込む低い西日が研究室の中を満たしていて、その色合いが気だるげで。
教授がPCのモニタの前に腰掛けて制作中の作品を指し示しながら何か説明しているのを、学生の私は他のふたりの学生と一緒にその傍らに立って聞きながら質問したり頷いたりしていたんだけれど、何かうまく言わなければと余計なことを考えて余計なことを言ってしまったらしく、教授から「もう君はいいよ」というような冷たい態度を示され、それに対してもうまくことばが出てこないまま、ひとり黙って研究室を出てしまった。
買い物客の行き交うピロティに立ち尽くして、なんであんなことを言ってしまったんだろう、私が伝えたかったのはそんなことじゃなかったのに、私も一緒にやっていきたかったのに、と、思い、でも、何をどう言えばよかったのかはわからず、なんであんな反応が返ってきたのかもよくわからないまま、私など最初からいなかったように研究室の中でモニタを覗き込んで話している三人を離れたところから眺めながら、泣きたい気持ちになってきて。
しばらくすると帰り支度をした教授が出てきて、少し離れたところで立ち尽くしている私に気付かないまま、人ごみの中で何かを待っている様子。
私は「そうじゃないんだ」と自分の気持ちを伝えたくて、でも何もことばは出てこなくて、それでもせめて、私の中に言いたいことがあるのだと伝えたくて。そして、そちらに背を向けて空を仰ぎ、この気持ちに気付いてもらえるかと、人ごみの中で「ウワーッ」と奇声のような泣き声のようなものを上げてしまい、その自分の声で目が覚めた。そのやるせない気持ちのままで。
いくら夢の中でもそんなやり方はないよ、駄々をこねる子どもじゃあるまいし、と寝起きの頭で自分に突っ込みながら、ああ、卒業後に卒展だか五月祭だかで訪れた大学の制作室であの教授と話した時の後悔をまだ引きずっていたのかと、自分に呆れた。
ずっと大学に残っていたいと強く思いながらも卒業して就職したものの、外の社会でやっていくのはやっぱり私には無理らしいと身にしみて、研究室に逃げ場所を求めた時。
何がしたいのか、何ができるのかも考えないまま逃げていた私に、教授のことばは痛かった。
自分はなんてばかなことを言ってるんだろう、子どもじゃあるまいし、もっと言いようがあるんじゃないか、もっとよく考えてから話すべきことだろう、と、情けなかった。
その遠い日の情けない気持ちと言い訳したい気持ちが、その時のまま私の中にくすぶっていたらしい。
夢の中できちんと話ができていたらくすぶっていた思いも昇華できたかも知れないけれど、あれじゃあだめだろう。
何度転生しても同じところで同じ失敗を繰り返してしまう物語があったっけ。
次に夢に見た時には、もっとうまく話せるようになっていたい。
後味のいい夢ではなかったけれど、暖かい布団の中で日常感ある夢をたっぷり見て目が覚めた感覚は久しぶりで、それなりに妙な満足感があった。