一時期、騒がしい音や車のエンジン音などに混じって時々音楽が聞こえた時期があった。
知っている曲が確かに聞こえていたけれど、そばにいる人は「今そんな曲なんかどこにも流れていない。聞こえない」と言っていて、でも幻聴なのかどうなのかよくわからなくて。
そんなことを話していると、Uさんが教えてくれた。
『共感覚者の驚くべき日常』という本の中の「感覚遮断と単純な共感覚」より
脳は原則として外界からの入力を奪われると独自の外的現実を投射しはじめ、「本当はそこにはないもの」を進んで知覚する。
この感覚の解放は、とりわけ視覚と聴覚ではあまり珍しくない。
たとえばあなたも、シャワーの音で耳がばかになっているとき、電話が鳴っている、誰かが呼んでいるといった幻聴を体験することがよくあるのではないだろうか?
Uさんのことばを借りると、「継続的に大きな音量のノイズがあるような時は音楽が聞こえる」。
ああ、まさしくそれ!
私が初めて流れていないはずの音楽を聞いたのは、アイドリングしている数台のバスの横で目的のバスを待っている時だった。
バスのエンジン音に混じって、80年代に流行ったポップなハードロックの曲が聞こえてきた。
幻聴と言うよりは空耳に近く、でもメロディははっきりしていて、空耳にしては長時間聞こえていた。
大きなエンジンの音のせいでそれが聞こえているらしい、となんとなく気付いたけれど、どうしてそんなものが聞こえるのかわからなかった。
「脳は原則として外界からの入力を奪われると独自の外的現実を投射しはじめ、『本当はそこにはないもの』を進んで知覚する」 については、TVか本でそういう実験を見た記憶がある。
何もない真っ白な、自分がたてる音さえ耳に届かない完全な無音室に人をひとりで入れておくと、しばらくすると多くの人が幻覚や幻聴を体験するという実験だったように思う。
電話が鳴っているので掃除機を止めると、鳴っていない。鳴り止んだのかと思ってまたかけると、また鳴り出す。
人に呼ばれた気がしてシャワーを止めると、あたりは静まり返っている。
それが共感覚とどう関係あるのかは、本を読んでいないので不明。今度読もう。
「共感覚」ということばは、大学に入った頃、色彩心理学の講義で知った。
(確か、私が履修していた講義ではなく、その講義に出ていた友人から私が好きそうな話をしていると教えてもらってもぐりで出た講義だったように記憶している。)
共感覚とは、ひとつの刺激を受けた時に本来の知覚以外に他の知覚が不随意に引き起こされるもので、音やことばに色を感じたり、色に匂いを感じたりする現象。
私には、「あ」は赤色で「い」はピンクで「う」は黄色。
「な」は茶色だけど「7」はピンク。「6」は重くて「7」は軽い。
私の場合はそう感じるだけだけど、共感覚が強い人の場合は、白黒の新聞紙が色とりどりに見えたり、会話中のことばに見える色が会話の内容などの情報と混乱してしまったりするらしい。
いや、これらは20数年前に聞きかじった話の記憶なので、今はもっと広い範囲でいろんな研究が進んでいるんだろう。