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2016年 01月 23日
もうひとりの認知症
帰省から戻った翌朝、Rの母親をものわすれ外来に連れて行った。

二年前の大腿骨頸部骨折以降、手術して歩けるようにはなったものの歩きづらくて億劫なのか、ベッドの上に座りっぱなしで過ごす時間が増えていたRの母親。
歩かなくなると認知症のリスクが高まるという話や、筋肉量は寿命と大いに関係あるという話が気になって、ベッドに座り込んでいるのを見かけるたびに
「今日、散歩行った?」
「寝ころんだり座ったりしてたら筋肉落ちるし、なるべく歩きや」
と声をかけてきたけれど、返事はいつも
「さっき座ったとこ」。

「あれ?」と感じるような物忘れが時々出てくるようになって気になっていたところへ、年末に、普通の物忘れではなさそうな記憶の欠落があって(一週間ほど前に親類が来たときに預けたもののしまい場所が思い出せなかったのだけど、よくよく聞くと、その親類が来たことも、そのときみんなで頂きものの冷凍の小魚を小分けする作業をしたことも覚えていなかった)、Rが母親と話し合って、ものわすれ外来の予約を入れた次第。
私の父親の時は、本人を説得して病院に連れて行くのが難しく、明らかに認知症だと思われる症状が出始めて数年経ってからの初診になったので、今回すんなりRの説得に応じてくれたのは助かった。


当日、まず別室に家族だけ呼ばれて、臨床心理士(だったと思う)からこれまでの経緯や家族構成、本人の成育歴などを細かく訊かれたあと、本人と家族とで医師との面談。
その後、本人が別室で認知テスト(長谷川式テストとMMSEテスト)を受けている間、家族は診察室に残って医師と話をし、本人が血液検査と脳のMRIを受けている間に認知テストの結果の説明を受けて、帰宅。
血液検査とMRIの結果通知は翌週。

面談中、二年前の骨折の話になったときに「いえ、手術とかそんなたいそうなことはしてません。こけてちょっとしばらく痛かっただけで」と、人工骨頭置換手術を受けたことを完全に忘れていることがわかって、ややショックだった。
本人にとって人生初の手術経験で、あんなたいそうな手術で(まあ、当人は麻酔で眠ってたからわからないだろうけど)、回復までの入院期間やリハビリ期間も長かったのに。


認知テストの結果は、やはりただの年相応の物忘れではなく、認知症の特徴が出ているとのこと。
そして翌週、MRIの結果に脳の委縮が見られるとのことで、アルツハイマー型認知症の初期段階だと診断された。
ただ、今の段階ではまだ進行のペースもわからないため、しばらくは定期的に通院して様子を見るということで、投薬はなし。
念のために、火の始末が心配なガスコンロだけはすぐにIHヒーターに交換しておこうと、Rが手配した。
f0000211_17573648.jpg


どうかこのまま進行が緩やかで、父のようになることなく、Rのことも自分のことも記憶に残したまま自宅で余生を送れますように。

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by karino-tohko | 2016-01-23 19:01 | 日記
2015年 07月 09日
父の認知症進行覚え書きと、軽度認知障害を早期発見する血液検査
黄斑円孔のことで気になることがあって過去の日記を読み返していたら、すっかり忘れていたRのことばが書き留めてあった。

夜、リビングでうとうとしかけたところでRに右目に手を当ててもらっていると、眠りに落ちかけた耳に、
「おまえがガンになっても認知症になっても目に孔が開いても、何があっても大丈夫なように、お金を作るからね」
と、Rの声。
ああ、これまで「お金なんて、生活する分あればいいんだよ。多くは要らない」と言っていたRがお金を増やそうとしたのは、私の両親の話から、私が抱える二大リスク(ガンと認知症)を気にかけてのことだったのかも。
ごめんね。

「黄斑円孔 その2 進行」より。
ああ…。


年に一度帰省するかしないかだった私が最初に父の言動に違和感を持ったのは、2006年夏。父、69歳の時。
2007年の初めに、母と妹からどうやら父にアルツハイマーが始まっているようだと聞かされ、2008年の6月に父は仕事を退職。
記録を見ると、この頃私が最後に父に会ったのは2008年の5月で、その次は、母のガン手術に際して帰省した2011年3月まで約三年間空いている。
2008年に会ったときにはまだ会社に勤めていて運転もしていた父は、次に三年後に会ったときには、もう、自分の家もわからなくなっていた。

2010年に認知症と診断されて要介護度1の認定を受け、2011年には介護度2。
二度目の徘徊で保護された2012年11月に、排せつや入浴、着替え等に全介助が必要な要介護3と認定されたとのこと。
今の介護度は母に確認していないけれど、介護なしでは生活できず、「自分の名前」を忘れることが多い状態なので、要介護4か。
現在78歳。


要介護度とアルツハイマーのステージは別で、アルツハイマー型認知症の機能評価ステージ FAST(Functional Assesment staging of Alzheimer's disease)では、今の父は重度痴呆、高度のアルツハイマーに当たるステージ7らしい。

・FAST概要→FAST:Functional Assesment staging of Alzheimer's disease(三島改)
・FAST詳細→Functional Assessment Staging(FAST) (日本臨床61巻 増刊号9(2003)より)PDFです
・FAST 各期間の目安あり→アルツハイマー病における進行別対応、終末期対応 (筑波大学大学院人間総合科学研究科生涯発達科学/飯島飾教授:最近医学 Vol.66・9月増刊号 2071-2183 2011より)PDFです

ステージ7-a:最大限約6語に限定された言語機能の低下
語彙と言語能力の貧困化はAlzheimer型認知症の特徴であるが、発語量の減少と話し言葉のとぎれがしばしば認められる。更に進行すると完全な文章を話す能力は次第に失われる。失禁がみられるようになると、話し言葉は幾つかの単語あるいは短い文節に限られ、語彙は2、3の単語のみに限られてしまう。

ステージ7-b:理解し得る語彙はただ1つの単語となる
最後に残される単語には個人差があり、ある患者では”はい”という言葉が肯定と否定の両方の意志を示すときもあり、逆に”いいえ”という返事が両方の意味をもつこともある。病期が進行するに従ってこのようなただ1つの言葉も失われてしまう。一見、言葉が完全に失われてしまったと思われてから数ヵ月後に突然最後に残されていた単語を一時的に発語することがあるが、理解し得る話し言葉が失われた後は叫び声や意味不明のぶつぶつ言う声のみとなる。



ステージ7-e:笑う能力の喪失
この時期では刺激に対して眼球をゆっくり動かすことは可能である。多くの患者では把握反射は嚥下運動とともに保たれる。

ステージ7-f:昏迷および昏睡
Alzheimer型認知症の末期ともいえるこの時期は本疾患に付随する代謝機能の低下と関連する。

「日本臨床61巻 増刊号9(2003)」 より。PDF)


各期間の目安が書かれた「アルツハイマー病における進行別対応、終末期対応」(PDF)とこれまでの進行ペースから見て、父は持ってあと数年かと覚悟していたけれど、今月初めから、誤飲によるらしい肺炎を起こして入院しているとのこと。
よく引用を見かける『認知症の方の在宅医療』(苛原実・編著 南山堂発行 2010)によると、
「歩行障害が出現し、最期の半年~2年は寝たきりで過ごす。」
「最終的には嚥下反射が極度に低下あるいは消失し、末期となる。この段階で何もしなければ1~2週間、末梢輸液だけ行うと2~3カ月、胃瘻などの経管栄養を行っても半年~1年で死に至る。」
とのことで、思っていたより、その時は早く来るかも知れない。



60代で認知症が始まった父と体質が似ていることを思うと、大病や事故に遭わなくても、自分に残された時間はそんなにないような気がする。

そんな心配をしていたら、5月の初めにこんなニュースが流れてきた。
「血液検査で分かる認知症リスク 約100施設が実施」 日本経済新聞

検査の詳細や実施機関については、6月末に発表があった。
「MCBI ~軽度認知障害(MCI)を早期発見する血液検査~」
「MCIスクリーニング検査」は、認知症の前段階である軽度認知障害(MCI)の兆候を早期に発見できる血液検査です。
アルツハイマー病の原因物質であるアミロイドβペプチドの蓄積を間接的に評価することで、軽度認知障害(MCI)のリスクを調べます。
また、アルツハイマー病の発症に関連する遺伝子を調べる「APOE遺伝子検査」も行っております。
「MCIスクリーニング検査」と「APOE遺伝子検査」は1回の採血で同時に検査することができます。

ページ下にある「検査実施医療機関」を見ると、この近くにも検査が受けられる病院がある。
もう少し家の中を片付けたら検査してもらおう。
5年後位に。
(父のこともあるしリスク高いとは思っているけれど、実際に診断されたらこの先を悲観して何もできなくなりそうなので)



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by karino-tohko | 2015-07-09 21:10 | 日記
2015年 07月 08日
「『私』を失う病」
ゴールデンウィークの帰省時に、病院から特別養護老人ホームに移った父親に面会してきた。
初めて訪れたその施設は、思っていたよりもずっと小さく、山深くにひっそり忘れられた幼稚園のようで、曇り空の下、車を降りてその前に立っただけで胸を締め付けられるようだった。

山を削って造成された見上げるような坂の住宅地を抜けて山に入り、ひと気ない山道を奥へ奥へと進んで、ここに置き去りにされたらもう戻れないであろう気がしてきて、まさに姥捨て山のようだと胸が痛んだところに現れた小さな建物。
鬱蒼としたひと気ない場所で不思議な明るい色に塗られた壁をしていて、しんとした小さな園庭にそこにはいない幼児向きの遊具が並んでいて、かえって、ここは打ち捨てられた場所だと告げているようだった。


面会の手続きを済ませ、職員の方に連れられて天井の低い廊下を進むと、足元の覚束なそうなお年寄りが手すりにつかまったり椅子に腰かけたりしている廊下があって、そこに父のいる部屋があった。
部屋は、天候のせいか外の木々のせいかやや薄暗く、パイプベッドと小さなロッカーが4つ入った小さな4人部屋で、病院の相部屋そのもの。

「起こしてきますね」
視線の先には、半分カーテンを引いたベッドで背中を丸めて横向けに小さく丸まっているお年寄りがいる。
大きさも形も父の姿をしておらず、もう死が近い老人のように見えるけれど、あれが父なのか。
「あ、眠っているなら…」「いえ、もうすぐ夕食だしそろそろ起きておいてもらった方がいいので」と、男性の職員が中に入って行って眠る父に声をかけて抱え起こし、車椅子に移して廊下まで連れてきてくれた。

一年ぶりに会う父は、いっそう知らない人のようになっていて緊張したけれど、薬の加減か、去年会ったときよりは穏やかな人間らしい表情を見せることが多かった。
春先に狂暴になったので薬を変えたところ、表情がなくなり足の力もなくなって立つことができなくなったので、少し前に薬を半分に減らしたとのことで、この時も立つことはできないようだったけれど、目が合うと時折笑っていた。
母親によると「この間より目つきも普通になった」とのこと。

自分の名前が言える日と言えない日があるとのことで、この日は母の「自分の名前、言える?」に反応がなく、「わからない?」と言うと黙って頷いていた。


数年前、認知症が急に進んで物事が理解できなくなり始めた頃、自分の頭がおかしくなってきたことに絶望と不安を感じていた様子だった父親。
今の父には、家族の記憶も、大切にしていたものの記憶も、自分の人生の記憶も、何もない。
自分が誰なのかわからなくなるのはどれほど不安だったろう。
「自分で自分の名前がわからなくなる」今の自分の状態を、父は不安に思っているだろうか。
それとも、もうその不安もなくなっただろうか。
ぼんやり宙を見るような目で何を思っているんだろう。


この日一時間ほどいた間に父が発した言葉は三つ。
父「おおやけ」
私「おおやけ?」
父、頷きながら「おおやけです」。
何だろうと考えていると、続けて
「つきどい、つぎどい」
「つぎぞい?」(和歌山出の父は「ぞ」を「ど」と発音する)
頷く父。
その時はアクセントが違ってわからなかったけど、今字面で見ると「付き添い」か?

そのあとずっと黙ってテレビを眺めて、帰る少し前に「そとで○×※△□…」
聞き取れず「外?」と聞き返すと頷く。
「外に出たいの?」
頷く。
「もうすぐご飯の時間やし、また今度にしよか」



山奥に父を置き去りにするような後ろめたさと、世間から隔絶されたような場所で父を四六時中見守って下さっている職員の方々への感謝と申し訳なさの入り混じった思いから、深々と頭を下げて施設を後にした。


来た山道を戻り最後の坂を登り切ると、突然視界が開け、眼下に新興住宅地が広がった。
そこから見下ろす坂道は、怖ろしく急勾配で長く、夢で見る光景のように非現実的で、まさに下界に下りる道のようで、ああ、日常へ戻るんだ、と、まるで甦生するかのような感覚になって、あの場所が死の側にあるのを強く感じ、父に忘れられた母はいつもひとりでこの道をどんな思いで通っているのだろうと不安になった。



(日本精神神経学会学術総会の実況ツイートより。松沢病院 齋藤正彦先生のことば?)




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by karino-tohko | 2015-07-08 18:53 | 日記
2014年 05月 12日
お父さんでなくなっていく
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連休に帰省して、入院している父親に会って来た。
最後に会ってから丸二年。
表情のなくなった父親を見るのが怖かったし、私のことがわからなくなっているのを確かめるのも怖しくて、入院してからは一度も会いに行っていなかった。


最寄り駅まで電車で行き、母にそこまで車で迎えに来てもらって、病院へ。
気持ちのいい晴天なのが救い。
休日のため照明の点いていない広いロビーに入り、長い廊下を通って病棟に向かい、受付を通って、狭い面会室に通された。
病室じゃなくここで面会するのか、とぼんやり不思議に思っていたら、ドアが開いて、看護士に支えられた父が入って来た。

チョ、チョ、チョ、とごく小股で進む父はかつての父の姿をしておらず、面影もなく、見知らぬ老人のようになっていて、覚悟はしていたもののショックだった。
ほんの数年前まで、まだ自分で車も運転して会社にも通っていたのに。
人より若く見える父は、その頃にはまだ「おじさん」でも通るくらいだったのに。

「お父さん、久しぶり。私、誰かわかる?」と、努めて明るく声をかけたけれど、黙ってこちらを見る父の目は、もう、私の知っている父の目ではない。
それでも、しばらく一緒にいて話しかけているうちに一瞬父の顔に戻ることが何度かあって、少し安堵した。

母のことも私のこともわからないけれど、自分の名前だけはわかっている。
自分の名前だけでもわかってくれていることにも、安堵する。
たとえ自分が何者だったかの記憶がなくても、楔のように名前だけでも残っていることに、気持ちが縋る。


「お父さん、私、誰かわからん?」
「おばけ」
「おばけちゃうよー」
笑った顔が昔の顔だ。

もしかしたら会うのはもう最後になるかも知れないと思って持って来たカメラを構えて父を撮っていたら、カメラに手を伸ばしてつかもうとしてきた。
「お父さんも、昔よく写真撮ってたよね。いいカメラ持ってたよね」
と、小さな子に触らせる時のように私の手を添えたままカメラを触らせていたら、上や下や右左からゆっくり眺めまわして手を離したあと、
「まだか。早よ入れやんかい」
「何を?」
「それや。早よ入れて食わせろ」
カメラが食べ物に思えるらしい。
それでも、その横柄な命令口調が昔の父親のままで、少し安堵する。


途中、椅子を移ろうとするので支えに手を差し伸べたら、頼りないほど軽いその腕に驚いた。
あんなにどっしりした人だったのに、中身の抜け落ちた花殻のように軽い。
強く握るとくしゃりと形を失いそうなほどに。


帰り際、「バイバイ、また来るね」と手を振る私を、不思議そうな目で見ていた父。
入院した頃は、見舞いに行った母が帰ろうとするたびに、母が誰なのかもわからないながらも
「わしも帰る」
「わしには娘がいるんや。娘が車で迎えに来てくれるはずや」
と言ってたらしい。
迎えに来れなくてごめんね。
今は、帰る家のことも、娘がいたこともわからなくなっている。


病院をあとにしながら、ああ、病室でなく狭い面会室に通されて面会室の外から鍵をかけられたり、病室へ見送る時にスタッフルームの中を通って小さなドアから出入りするのをぼんやり不思議に思っていたけれど、そっか、閉鎖病棟だったんだ、と気が付いた。



まだ母や私や妹のことがいくらかわかっていた頃、便が出ずにお腹が張っていた時に
「なんで出えへんのや。頭も悪いのに体も悪い。もう死んだろか」
と言った父。
自分の頭が壊れていくのはどれほど不安だったことか。
何もわからなくなったように見える今、自分を失う不安もなくなって、子どものように今その時を生きていくれていますように。



(過去記事 「バスの来ないバス停」


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by karino-tohko | 2014-05-12 22:07 | 日記
2013年 10月 25日
父が描いた絵
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f0000211_20344739.jpg
5月に帰省した時に妹の子らが積み木代わりに遊んでいた、父の自慢だった象牙の麻雀牌。
父の認知症が急に進んで頭の中が麻雀になっていた頃(「記憶の帰る場所」「父のいる世界」)、父の世界はこの牌で構成されていたんだろう。



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その帰省中、テーブルの上を片付けていた時に出てきた、父が書いた何か。
手に力が入らないのか、鉛筆を点々と突き立て、覚束ない線をぐるぐる。
幼児が描く絵のように見えるけれど、もしかしたら、何か文字を書きたかったのかも知れない。
何か言いたかったのかも知れない。

幾度もなぞられている一番下の逆さおにぎり型のものや、その上の円の中に小さな丸が入ったものは、顔を描こうとしていたようにも見える。
誰かを描きたかったのかも知れない。
思ったように描けなくなっていることに、自分の頭の中が雲をつかむようになってしまっていることに、不安を感じていたかも知れない。




一番上の写真は、父親の部屋の前にかけられた千羽鶴と、その向こうの、母親の部屋の前にかけられた千羽鶴。
何年も日にさらされてすっかり色褪せている。
父、76歳。母、71歳。
ことあるごとに両親の年齢や生年を確認するようにしているけれど、未だに覚えられない。



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by karino-tohko | 2013-10-25 20:39 | 日記
2013年 09月 19日
一年半会ってない
今日は父の誕生日。
病室でひとり宙を見ているであろう父親を思うと悲しい。
あんな状態になった父を放っている自分の薄情さが悲しい。
表情のなくなった父親を見るのが怖い。
もう私のことはまったくわからないだろうと思うと会うのが怖い。
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by karino-tohko | 2013-09-19 21:08 | 日記
2013年 02月 23日
父の病状 覚え書き (退院→再入院)
「数年前に帰省した時には、ちょっとおかしいところはあったものの、まだ会話できて一緒に出掛けられたのに、短期間のうちにすっかり別人のようになってしまった」
父のことを書き留めた、昨年7月15日付けの私のメモ。

そのメモを書いた7月に、このままでは自分の方がまた倒れそうだとの母の訴え(母は前年春のガン手術後リンパ浮腫で足がやや不自由になっており、この年の春には激しいめまいで動けなくなって入院し、退院後も心房細動の症状が出て薬服用中)が聞き入れられて、夜眠らず歩きまわっていた父は、睡眠障害治療の名目で精神科に入院できた。
今の制度では認知症患者の90日以上の入院は難しいそうで、本来なら父は10月半ばに退院する予定だったけれど、退院前に腸閉塞(イレウス)を起こし、転院して入院継続。
絶食等の内科的治療で腸閉塞が改善したので、11月末に退院となった。
この時点で父の体重は10kgほど落ちていたらしい。


退院後数日、母からも妹からも何も連絡がなかったのでうまく行ってるのかと思っていたら、あとで聞いたところによると、睡眠障害が治まって退院したはずの父は相変わらず夜中にうろうろしたり他の部屋に入って小便したりしていたそうで、また、(腸閉塞だった関係か?)夜中に大量の排便をしていたとのこと。
母によると
「前もよく漏らしてたけど、退院してきたらトイレが全然できなくなってて、それだけでくたくた。おしっこもうんこもびっくりする量するねんで。8回分カバーするっていうおむつして、その下に6回分カバーするっていうおねしょシーツ敷いてるのに、全部あふれるねん。うんこもひと晩に2回も3回もするねん」、と。
以前に比べると小食になったらしいのに、いったい何からそれだけのものを製造するのか。
「夜中にそれを換えるんやけど、便がゆるくてべちゃべちゃであっちこっちに広がるし、お父さんは言うこときかへんし、なかなか体もきれいにできひんし。お母さんは足が悪くて体重かけられへんから、着替えさすのもシーツ換えるのもひと苦労やのに、やっと換えてもまたすぐに漏らすねん」

2、3晩その状態が続き、心房細動の続いている母が体力の限界を感じてきたところで、ある晩、午前2時頃におむつを換えたあと、明け方4時前に父が家からいなくなっていることに気付いたと言う。
前年に徘徊で行方不明になった時以来、GPS付きの携帯を持たせるようにしていたけれど、就寝中だったので手ぶらで出た様子。
家の周囲にいるかと、慌ててパジャマの上に上着を引っ掛けて外に出てみたけれど見当たらず、そのまま近所を探したけれど見付からなかったので、夜が明けるのを待って午前6時20分に警察に電話。

12月の冷え込む夜中にパジャマのままの薄着で出たらしいからか、前に行方不明になった時とは違って警察による捜索が始まり、「写真入りの尋ね書きを全戸配布してもよろしいですか?」ということで急いで用意した写真で尋ね書きが刷られて、各戸に配布。
数時間後、パジャマ姿で物陰にしゃがみ込んで震えていた父が、寒くて唸っていたその唸り声で発見されたとのこと。


発見された時に低体温症を起こしていたので、そのまま近くの救急病院に運ばれて点滴を受け、その間にケアマネージャーが駆け付けて再入院手続きを取ってくれて、父の体調が回復したところで、最初の精神科に再入院。
退院に備えて市から介護用ベッドやトイレや手摺が貸し出されていたけれど、結局、家には数日しかいなかったらしい。

母は夜中にリンパ浮腫用の弾性サポーターを付ける間なく飛んで出て(履くのにかなりの時間がかかるらしい)そのまま駆けまわって一日過ごしたので、悪化が治まっていた足の浮腫が一日でひどくなったとのこと。

「見付かったって聞いて駆け付けた時は、大事件が起きたみたいなすごい人だかりができてて、救急車も消防車も来てて、この町にこんなに警察官がいたのかって思うくらい警官がいてびっくりしたわ」と、妹。


父はそのまま病院で年を越し、一月に再び腸閉塞を起こして、一月末にヘルニアの手術を受けた。
11月に10kgほど落ちた体重は、さらに5kgほど落ちたらしい。
秋に帰省した時に見た9月頃の父の写真は、痩せた上に目つきも変わっていて、もう父の顔をしていなかった。
それからさらに痩せたという父。
その顔を見るのが怖くて、ひとりでは隣町の病院までの足がないことを理由に、見舞いにも行っていない薄情な私。



早くに自分の父親を亡くして子どもの頃からずっと間借りや小屋のような借家で暮らしていたからと、「自分の家」というものに強い憧れを持ち、結婚後、はるか遠い山の中の新興住宅地の建売をローンで買って越して来た父。
私が中学校に入る前に一部を増改築して造園し、私が結婚する直前には全部更地にして建て直して、念願の「本当のわしの家」を手に入れた父。

お父さん、子どもの頃から憧れて憧れて、やっと建てた「自分の家」だったのに、ここからどこへ帰ろうとしていたのか。
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by karino-tohko | 2013-02-23 21:11 | 日記
2013年 02月 21日
食器洗いをなんとかしたい (片付けられない親の家の掃除と片付け 十回目)
流し台に溜まった食器や鍋、ほこりの積もった階段、薄暗い廊下、水の出ない蛇口、水が流れていかない排水口。
それらをどうにもできずに(どうする気もなく?)そこでひとり暮らす母親。
帰省するたびに気が滅入るようになってきた。

それでも、母がガンになってことあるごとに帰省するようになった二年前からその都度掃除や片付けをするようになって、さすがに汚れやほこりはマシになってきた。
(ここの後半に当初のほこりや真っ黒な床の写真あり→「片付けられない親の家の数年分の片付けと掃除」
けれど、片付けの方は、いくら片付けても次来た時にはテーブルや流し台やユーティリティが元通りカオス状態に戻っている。
まあ、私んちもそうなんだけど。


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毎度のように散らかった食卓。
食器を置くスペースがないのは私の家も同じなので、人のことは言えない。
 ↓
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今回はこれで力尽きた。
(ああ、食卓の上におしり拭きが残ってる…)

f0000211_16475338.jpgテーブルの上からアームバンド5組発掘。
着るものによって使い分けている様子もないので、見当たらなくなるたびに買っていたのか…?


山の中から、表紙の折れ曲がった既成の「エンディングノート」が出てきた。
自分に万が一のことが起きた場合や意思の疎通ができなくなった時に備えて、自分の希望や連絡先などを書き残しておくノート。
中は真っ白のまま。
保険会社かどこかからもらったのか。
母はどう思ってそのノートを手にしていたんだろう。
母がしっかりしているうちにそういったものを書き留めておいてもらいたいと思いながら、これまで言いだせずにいたけれど、これを機会に書いてくれたら…。


前回すっきり片付けて帰った流し台も、元通り。
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私も数年前までは数日分洗い物を溜めてしまっていたので、すぐにこうなってしまう気持ちもわかる。
溜めるよりもその都度洗った方がラクだというのを実感してくれたら、洗う習慣が付きそうだけれど、私に言われてイヤイヤ洗っても気持ちいいとは思えないだろうし、まめに洗った方がラクだと感じてもらうのは難しそう。
 ↓
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片付けて磨いた。
去年用意した排水口の浅型水切りネットは使ってくれているようで、以前は野菜くずと泥化したものが固まって水が流れ出にくくなっていた排水口の掃除は、格段にラクになった。

「お母さん、ひとり分の食器やったら、ためてまとめて食器洗い機かけるより手で洗った方がずっと早いし、ここもすっきり片付くよ。ほら、ふたり分洗っても3分もかからないし」
と、食後、座り込んでドラマを見ている母の前で食器を洗って見せても、「そうお?」と生返事。
「一回座ったら動くの面倒になるから、食器運んだその足でそのまま洗うようにしたらいいよ。2、3分のことやし。私も前はいっぱいためてたけど、今はそうしてる」
「そうねえ」
聞き流してる口調。
「それか、前に言ってた小さい食器洗い機、買ったるよ。一緒に買いに行こ。こんな大きな食器洗い機いっぱいにしようと思ったら、ひとり分やったら何日もかかるやん」
「もうそろそろそれも寿命やし、今度買う時はそうするわ。今はまだいいわ」
私が買って用意しても、自分でしっくりこないものは使わないので、勝手に買ってきてもだめだろうし。うーん…。


ユーティリティも元通り山積みになっていたけれど、今回は手付かず。
先に、前回時間切れだったガレージを空けないと、家の中のごみが出せないので。

ガレージに転がるいろいろなもの。
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波打つキムコ。
キムコにいったい何が起きたのか。

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父のネクタイ、約20L。
超幅広のやサイケ柄など、昭和30年代からの半世紀分のネクタイをこれまで全部残してあったよう。
そう言えば父の部屋の「衣紋掛け」(という子どもの頃使っていた懐かしいことばを思い出した)が空っぽになっていた。
もしかしたら、一本残らず捨てるつもり??
…と驚いたあと、ああそうだ、もう父がネクタイを締めることはないんだ、と気が付いた。

二年前だったか、おかしさが目立ってきた父は散歩に出るたびに、ジャージの上から黒い革ベルトを締めていたっけ。
「ジャージにベルトはいらんよ」と言っても「いや、ベルトはしとかなあかん」と譲らないので、そのまま外出させていた。
定年を迎えるまでは麻雀以外に趣味らしい趣味も持たず、毎日夜明け前に家を出て夜更けまで仕事ばかりしていた父にとって、ネクタイとベルトは体の一部のようなものだったのかも知れない。
父が最後に締めたネクタイはどれだろう、どれか一本思い出に…と選りかけて、つらくなってやめた。


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父の部屋から出てきたらしい、父が何かの記念品でもらって大事にしまいこんでいたEPSON「Televian」。
ポケットサイズの液晶テレビっぽい。
古いものだけど保証書も入ったままの未通電の新品らしいので、置いておければ何かの時に…と残しかけて、「いや、今はケータイでテレビも見られるんだった」「いやそれよりも、どう見ても地デジ対応してないし」と気付いて不燃ごみ袋へ。

(ああ、今つい検索してしまったら、“レア!超美品!EPSONミニTV「Televian」取説・ACアダプター付属”というのがほんの数日前にヤフオクで2,000円で落札されていた。1980年代の製品だったらしい。見なかったことに…)


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ずっとここに置いてある汚れた空き瓶。
去年、「あそこの瓶、不燃ごみの袋に入れとくよ」と言ったら「中身出してきれいに洗ったら再生用瓶の回収に出せるから」と言っていた母。
台所にもそんな汚れた空き瓶がいくつも転がっているし、このガレージの奥にもひと箱ある。
いったいいつ中身を出してきれいに洗うのか。

いや、私も「いつかできる」と思っているうちは、古紙も種類ごとに一枚ずつ分別しなきゃ気が済まないし、100円ライターのようなものも分解して小さなプラスチック片や金属バネなどひとつひとつ分別せずにいられないので、まとめてごみに出すことに強い抵抗を感じる気持ちもわかるんだけれど。
今のこの家ではもうそれはいいから、と、こっそり不燃ごみ袋の底に押し込んでおいた。
(私同様、妙なところで神経質な親なので、今度帰ってきたらまた袋から取り出されているかも…)


Beforeを撮りそびれて残念。
いろんなものが雑多に積み上がって地層化していたところから、すっきり地べたが現れた!
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なお、このスツールも生ごみ処理機も歯の欠けた竹サラエ(これも何十年ぶりかに思い出した名称。懐かしい)もその向こうに先だけ写っている傘2本も、ごみ。
(傘は10月に24本処分したばかりのはずだけど…→「ガレージ内過剰ストック (片付けられない親の家の掃除と片付け 八回目その二)」


ごみ類、結構な量になった。
(大半は、元々ごみとしてガレージに放り込まれていたものを種類ごとに袋に整理しただけ。)
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廃品回収物。

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不燃ごみ類。

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再生ごみ類。


ああ、あと、風呂掃除もした。
11月の帰省時にジャバしたお風呂は、その直後に退院してきた父がまた毎回湯船の中で大便をしたので父の再入院後再び封印していたとのことので、帰省早々、再びジャバ。
けれど、母が出してきたジャバは箱が変色して中身も固まった状態の、いったいいつのだ?って物だったので、効果あったのかどうか。

それでも、深い湯船の熱いお風呂は、たまに入ると気持ちいい。



父が口うるさかった頃は家の中で唯一すっきり片付いていた広い玄関も、今は入口に父のおむつやしなびた野菜や不要品が積まれて、下駄箱の上には枯れた花や変色した紙が散らかり、上り口には市から介護用ベッドと一緒に貸し出されたらしい父のための突っ張り式の手すりが取り付けられていた。


玄関には枯れたままの古い花を置き去りにしてあるのに、客を通すことのなくなった客間の座卓に、なぜか一輪の侘助。
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うん、侘びしいよ。




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by karino-tohko | 2013-02-21 21:17 | 日記
2012年 10月 27日
この家でさえ
親の家、寒い。布団の後片付けを気にせず眠れるよう、やっぱり寝袋買おう。
朝5時過ぎにイタチが天井裏を走りまわってた。イタチ避けに線香焚こう。


ガン治療のリンパ浮腫がある母の左足は、右足の二倍半ほどの太さになっている。
治療マッサージをしてくれる病院が一件しかなくて、二ヶ月に一度くらいしかマッサージを受けられないらしい。
父の病院にも自分の病院にも遠距離を自分で運転して通っているようだけれど、めまいのこともあるし心配。
いつまで運転し続けられるだろう。


テーブルの上に、入院前の父の写真があった。
最後に5月に会ったときと人相が大きく変わっている。目付きがおかしい。父親に見えない。
知らない人の顔をしている。
入院して父の認知症は一層進んだようで、もうほとんどことばを発っしないらしい。

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麻雀をやめて以来、他に趣味らしい趣味がなかった父が執心していたこの客間。
最初は落ち着いた和室だったのが、質屋(と聞いたけれど古道具屋?)に通い始めて、きらびやかで大きな飾り皿や、派手な掛け軸や金の屏風、革のソファセットなどを次々に買い集めるようになったらしい。
母が「和室にそんなソファなんて」「いくら縁起いい絵でも前の持ち主はお金なくなって質入れしたんやから」「これ以上置く場所はないから」と止めても聞かず買い続けたのは、今思えば、認知症の始まりだったのかもしれない。


機能を失いつつある親の家。機能を失いつつある親の体や精神。

親の家から戻ってくると、この荒れた家でさえ、秩序立っているように感じてしまう。
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(どこが?)

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by karino-tohko | 2012-10-27 21:42 | 日記
2012年 09月 19日
わからない誕生日
伝票の日付を見て、父の誕生日だと気が付いた。
何歳になるんだろうかと、いまだに覚えられない父の生年をあれこれ推測して、ああそうだ、またすぐに忘れるだろうからと前にブログに書き留めておいたんだ、と思い出した。

「私も母の年齢になる」
昭和12年生まれということは、父は75歳になるらしい。


病院でひとり迎える誕生日。
入院して最初に母が行ったとき、看護師さんが「奥さんですよ」と言うと、ワンテンポ置いてから「あ、嫁はんや」と言ったそうだけれど、二度目に行ったときには、もう母のことはわからなかったらしい。
今自分がどこにいるのか、これまで何をしてきたのか、どんな家族がいたのかがわからなくなった今、自分が誰なのか、何を手掛かりに認識するのだろう。


母に「お父さんの誕生日やね」と電話すると、明日、自分の通院に合わせて父の病院に行って、今後どうするかを主治医と話すことになっている、と。
「お父さん、お母さんが行ってももうわからへんねん」
じゃあ、私のことなど、なおさらわからないだろう。
「さみしいなあ」
「まあ、仕方ないわ。いつかはこうなったんやから」と、母。
入院させずにいれば、まだ家族のことは覚えていてくれただろうけれど、うん、仕方がなかった。
ただ、こうなってから退院してくる父を、体がしっかりしていない母がひとりで看られるかどうか。
制度上、三ヶ月間は入院できるけれど、それ以上は難しいらしく、明日その話をしてくるらしい。


「私からの誕生日プレゼントに、おまんじゅうでもひとつかふたつ買って行って、渡しといて。私からって言ってもわからないやろうけど」
「そやろね。まあ、あげたら食べるやろね」
食べ終えて5分後には食べたことを忘れてしまっても、食べている間は「おいしいなあ」と思ってくれるだろう。

三月に母が倒れて急遽帰省したとき、ひとり家に残された父に私の作った料理(というか、味噌汁)を生まれて初めて食べてもらったら、しみじみとした口調で「うまいなあ」と言ってくれた。
ありがとう、お父さん。

(15分後には食べたことをすっかり忘れていたけれど。それでも、私のことがわかるうちに、一度でも食べてもらえてよかった。)
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by karino-tohko | 2012-09-19 21:24 | 日記