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2006年 09月 30日
調査類
税務署から「資料せん」提出の催促。
漠然とした名称だけれど、半年間の仕入れや売り上げなどの取引を取引先別・取引ごとに全部洗い出さなきゃいけない、かなり大変な作業。
これまでに数回作成したことがあるけれど、提出する資料せんは毎回50枚ほどになる。
締め切りは確か6月末だったけれど、毎月「あと1ヶ月…」と引き延ばしの電話を入れ続けて、ついに税理士さんに作業を振ってしまった。

それを振ってほっとしたところへ、経済産業省から「中小企業実態基本調査」。
面倒そうなので後回しにしていたら、そこへ総務省から「事業所・企業統計調査」が本社&支店分数部。
添えられたパンフに 「ご存じでした? 実はカンタンなんです。」 のコピー。
カンタンなのは分かってるよ。ただただ、すごーく面倒くさいだけなんだよ。
その間にさらに商工リサーチと帝国データバンクの企業情報更新書類。
こういうのは放っておいてもいいかなあ。
なんで重なるかなあ。(-_-)
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by karino-tohko | 2006-09-30 22:34 | 日記 | Comments(0)
2006年 09月 29日
理解の苦手な部分 「親切なクムジュさん」
Rが借りてきた映画。
最近見た映画がだいたい理解できるものばかりだったので、ちょっとはかしこくなったのかもと思っていたけれど、
どうやらたまたま、私にも理解可能な、時系列で推察力の必要ない映画が続いていただけだったよう。
この映画は、誰が誰で何がどうなっているのかサッパリ。
いや、ストーリー自体は特に複雑でもなんでもないんだけど、顔と韓国名がまったく覚えられないのと、場面の切り替えが多いのと、場面が切り替わる度にそれが過去の説明なのか現在なのかがわからなくなって、話が見えなくなって混乱。

最初いちいちRに説明を求めていたらひどく不機嫌にさせてしまったので、わからないままぐっとガマンして黙って見ていたら、前半の説明部分が終わって後半の山場分に入ったところでようやく話が理解できた。
で、見終わってから予告編を見て、細かい部分(ではないかも)で 「あ、そういうことだったのか」 「あ、この人がこの人で、ここはこの人物の説明シーンだったのか」 等々。

それでも何か大きな部分ですっきりしないところがあって、数種類ある予告編を次々に見ていたら、その中でひとつだけ、他の予告とは雰囲気もテンポもまったく違うものがあった。
 「クムジュさぁーん、クムジュさぁーん! ねえ、どうしてクムジュさんは親切なの?」
あ! そうか!
どうしてクムジュさんが「親切」だったのかがわかった。
で、何かすっきりせずに引っかかっていた部分が、重くて陰気で痛々しい映画なのに、なんでこんな邦題(原題も?)なのかってことだったことも、そしてこの邦題の意味も、わかった。


で、そこからもひとつわかったのが、私には、裏のある関係性を理解する能力が欠けているということ。
わかったというより、前からわかっていたけれど、つくづく痛感したというか。

ただ過去のエピソードを紹介しているだけだと思っていた刑務所内の話は、クムジュさんの企みを描いていたんだ。
私は、人を操作しようとしているその行為にまったく気付かず、その「親切」と「復讐」の関係がまったく見えずに、ただ、今こうやって復讐しようとしているクムジュさんは、刑務所の中ではいい人でした、っていう、クムジュさんの過去を紹介しているだけだと思っていた。
(バカ?)


まあそういうわけで、見るのがすごく苦痛な映画だった。
やたら痛いし。
でも最後まで見通せたのは、背景のカットや構図のきれいなシーンがところどころに出てきてたので。
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by karino-tohko | 2006-09-29 23:00 | A-spectrumの脳みそ | Comments(0)
2006年 09月 28日
写真整理術
せっかくだし村の写真を載せようと思って、写真を詰め込んである箱を久しぶりに覗いた。
20代後半頃までは、写真はアルバムに、ネガはネガアルバムにときちんと日付を入れて整理していたけれど、それ以降は写真もネガも、プリントから戻ってきた袋につっこんだまま。
写真の整理に時間を割く余裕がなくなったのもあるけれど、大量に写真を撮るようになったのでいちいちアルバムに収めていられなくなったせいもある。
でも、探していた写真は、フィルム100本分ほどが放り込まれている箱の中からすぐに見つかった。

で、ADHDでもできる超カンタン写真整理法を。
(普通の人から見ればわかりきった方法かもしれないけれど、写真や写真データがぐちゃぐちゃになってしまう人もいると思うので。)


■銀塩アナログ写真

写真屋から戻ってきた写真とネガの入った袋にNo.を書いて、一言内容のわかるメモも書き添えて、No.順に箱に入れていくだけ。
No.は四桁。
最初の二桁は西暦の下二桁、後ろの二桁は年ごとの通しNo.。
つまり、2006年に最初に撮った分は0601、その次は0602。
それらを現像から戻ってきた順に箱に入れて行けばOK。
これで、何年箱に放り込んだままの状態でも、必要な写真はだいたいすぐに見つけられる。


■デジカメ写真データ

デジカメの写真データも撮影日を入れて整理。
今日蜘蛛の写真を撮ったら、「060928蜘蛛」。
同じものの写真を何カットか撮ったら、「060928蜘蛛1」 「「060928蜘蛛2」…。
(「2」以降の分は「1」の名前をコピー&ペーストして数字を付け加えるだけ。)
十数カットあってひとつひとつ名前を付け直すのが面倒なら、「060928蜘蛛」というフォルダを作って、元の名前のままそこに入れておく。
で、マイドキュメントの中に「マイアルバム」というようなフォルダを作って、その中に「庭」「虫」「洗面所」「雑貨」「友人たち」「お出かけ」等、自分が分類しやすいような名前のフォルダを必要なだけ作って、それぞれの中に写真を入れていく。
フォルダの中の写真は、フォルダ上部のツールバーの「表示」を「縮小版」にすれば、いちいちファイルを開かなくてもフォルダ内の写真画像が一覧できる。

メールで送るために縮小したものや画像処理したものを保存しておくなら、縮小や画像処理して名前を付けて保存する時に、「060928蜘蛛小」「060928蜘蛛トリミング」というように、元のデータ名の後ろに変更内容を付け足しておく。

ブログに載せるために縮小した写真は、元データ名の頭に「ブログ用」と付けて「ブログ用060928蜘蛛」というような名前にして、別個に「ブログ用写真」というフォルダを作って入れていく。
「ブログ用写真」フォルダの中には、「ブログ用写真05」「ブログ用写真06」と年ごとのフォルダや、「ブログ用未UP」「ブログ用借りてきた写真」等のフォルダを作っておくと便利。
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by karino-tohko | 2006-09-28 23:00 | A-spectrumの脳みそ | Comments(0)
2006年 09月 28日
Google Earth
私 「うちの近所、昼間は留守がちでひと気がないし、PCのモニタの隅にいつもGoogle Earth開いて自分の家を映しておいたら、不審者が家の周りをうろついたりボヤが出たりしたらすぐにわかるからいいよね。防犯カメラ代わりになるよね」
R 「ふーん」
私 「…あー、ざんねん。私んち、詳細画像がない範囲だ。ボケボケ」
R 「ふーん」
私 「…あれ? 考えてみたらヘンなの。今、夜だから真っ暗なはずなのに、なんでこのあたり、こんなにはっきり映ってんの?」
f0000211_16152217.jpgR 「すごいねー。google Earth は常に世界中のあらゆる場所のリアルタイム画像を送ってくれるんだねー。どんなすごい衛星打ち上げてるんだろうねー。すごくたくさんの衛星だねー」

あー、google Earth で未踏の遺跡が発見されたとか、その時刻何もないはずの上空に未確認飛行物体が映っていたとか聞いて、いつの間にかライブカメラのつもりになってた。(--;)

画像は、ずーっと前に数ヶ月間住んでいたパリのアパルトマン。
このブログからリンクしているKarachiさんの真似。
ズームアップすると路上の人影まで見える。ドキドキ。

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by karino-tohko | 2006-09-28 22:00 | WEB、PCなど | Comments(0)
2006年 09月 28日
バベルの図書館
昨日からGoogleのロゴにケーキの絵が付いている。
Googleの誕生日らしい。
あ、だから日経ビジネスでGoogle特集やってたのか。


「僕らは世界中のあらる情報を整理したいだけなんだ」


グーグルアースには、衛星写真上に台風の動きや飲食店の写真、飛行機の発着時刻などあらゆる情報を張って他人に公開できる機能がある。全世界のユーザーが、次々と各地の情報を公開していったなら、大国の諜報機関並みの情報を誰もが持つことになる。
グーグルは、本気で「知の開放」を成し遂げようとしている。


グーグルは2004年から、ウェブを検索するように書籍の中身をできるサービスを開始した。検索語句に該当する書籍の表紙や目次、ページの一部の画像をユーザーにタダで見せてしまうのだ。 (略) 「例えば亡くなった親戚のコメントが引用されている本を、どうやって探したらいいんだい? ブックサーチはこの難問を即座に解決する。ゴールは世界中すべての本を収録することだ」

/いずれも日経ビジネス2006.9.25号より

本棚は脳の再現。
自分だけの、自分の脳を投影した書棚にしたい。
自分の形をした図書室が欲しい。
自分の図書館を作りたい。
十代から二十代の頃、そんなことを思っていた。
同じようなことを思っていた人は多いはず。
(ヴンダーカマー体質?)
自分が興味引かれるあらゆるものをファイリングしたい欲求は、自分の目に入るあらゆるものを、と広がって、やがて、存在するあらゆるものを、と広がっていく。
Googleはそんな際限ない人類の夢を、現実のものにしたい、とはばかることなく口にする。
そんなこと到底ムリに決まっている、と思えても、ひょっとしたら、と期待してしまう。


Googleブックサーチ http://books.google.com/、年内にも日本版開始とのこと。
…と思ったら、検索結果にはもう 「Googleブック検索」 の日本語表記ロゴが。
検索結果例
検索したキーワード(この場合は一番下の欄外の注釈内)に黄色のマーカーが付いている。
横にはこの本に関する情報やamazon等のページへのリンクも。
ページをめくるようにページ画面をクリックすると、次ページが開く。

あ、「Googleブック検索」の日本語での解説ページもあった。
その中の表示画面の説明ページはこちら
「すべての書籍」はムリにしても、すごい。
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by karino-tohko | 2006-09-28 20:00 | WEB、PCなど | Comments(0)
2006年 09月 27日
山岳少数民族の村滞在レポート ―付―
付録1はRとの合作。
紫部分はRが書いたものからの引用。
(付録2は協会の広報用に書いた記事で面白くないのでカット。)

Kuv moog tom moob lug

― 付 ―

/手元にあったコピーから

周知のとおり「価格破壊」現象のひとつの大きな要因として「円高」があり、それと連動して「内外価格差」の問題が挙げられる。これは世界的にみて、日本の経済が「豊か」であることを示している。<そんな実感はない>などと言うのは、正直かもしれないが愚かである。日本の国境を越えたところにあるのは海ではなく、海よりも深い貧困である。現に、その「貧困」あるいは「国家間の貧富の差」のよって「価格破壊」商品は生まれている。「価格破壊」のラベルの下には、「アジアの貧困」が刻印されているのだ。<そんな実感はない>という人の何十分の一かの賃金で働いている無数の人々がいるのだ。そして、そこから三つの恐怖が現れる。第一の恐怖はその商品を実際に作った無数の人々の顔であり手でありその生活だ。第二の恐怖は、最初の恐怖に気付かないこと、あるいは気付かないように作られた消費システム。そして最も大きな恐怖が先の二つの恐怖の狭間に現れる。すなわち、無意識の搾取である。「価格破壊」に諸手を挙げて喜び、それに慣らされた日本人が、国境に目隠しされたまま、国民の総意として辺りかまわず振り下ろす「消費」の鉄槌。本当は日本人の誰もが、そしてアジアのどの国の人々もが望んでなどいない鉄槌が、振り下ろされねばならない資本主義の一局面。「恐怖」は「悲劇」へと変わる。

 今や日本中のスーパーの店頭や家庭の至る所に、何食わぬ顔で、それは置かれ消費されていく。「破壊」などと呼ぶのが気恥ずかしくなるくらい、それらは「日常」となってしまった。痛みも悲しみもない日常が、過剰な人口ではちきれそうになっている国々から「搾取」するのだ。(外国資本の進出による「人口爆発」は、その国が豊かになったから起こるのではない。限りなく安い労働力が求められるから起こるのだ。だから、いくら餓死する者がでても貧しい国の人口は増え続けるのだ。)温厚なアジアの人々は、いつまでそのことに気付かぬふりをしていてくれるだろう。
 彼らが気付かぬふりをやめる時、本当に気付かなかった愚かな日本人は手痛いしっぺがえしを食らうのだ。それが「価格破壊」の本当の「恐怖」である。

/1995年研修レポート『「価格破壊」現象の本当の恐怖』(R)より



 時間的にも空間的にもとりあえず「拡大する事」。資本主義の命題はそれだけだ。「明日のために」「将来のために」、この現在は常に「永遠」へと接続されている。しかし「永遠」という時間の中では、どの一瞬も輝くことなど無い。長くなる平均寿命と反比例して、生きていることの意味も限りなく薄められていく。永遠に足元を掬われた現在は、「絶えざる不安」にすぎない。永遠なる生が最も無意味な生であるというパラドックス。それにもかかわらず、そんな「永遠」を人々が求めてきたのはなぜか? 生きていることの意味を見失わざるを得ないような不幸が、過去の何処かの場所で起こってしまったのだろう。例えば古代のイスラエルなどで。生きることの意味を失いながらも生きていくために「永遠」や「絶対神」が夢見られ、そこから現在の「倒立した生」が始まる。いや、「生きていくために」というよりは、生きていることの意味がなくなったので、「永遠」や「神」が人々の代わりに生きはじめたというほうが正しいのかもしれない。そして神々は全人類の全人生を食い尽くす。永遠や神を「経済」と置き換えても、事情は同じだ。神によって代替できる程度の人生なら、貨幣によって計算し尽くすこともできる。そうなれば最早、どの人生も一度きりの固有のものとはいえないし、人類60億、悉く存在する意味がない。
 永遠など、何処にもなかったことを思い出さなければならない。神が人々の代わりにすぎなかったことを思い出さねばならない。貨幣は貨幣にすぎないことを忘れてはいけない。
 悲しみも含めて本当にゆたかな「生」を、その感情や感覚を生きるために、人類はその持てる最後の手段を用いねばならないかもしれない。「勝ち残るために」ではなく、悲しむことを思い出すために。全能にして永遠なる者を消し去るために。


/1995年研修レポート『「マイカル桑名」の大きさを見て』(R)より



f0000211_20142724.jpg モンの村にお金や商品が入って来つつあるということを聞いて、以前本で読んだ、日本でペットとして飼われている猫一匹が一日に食べるある猫用缶詰の価格が、臭気と熱気の中 立ちづめの手作業でその缶詰を作っているタイの工員の日給の1/3にあたるという話や、山中で焼き畑農を営み豊かな自然食文化を持っていたフィリピンの少数先住民族が、ピナトゥボの噴火によって平地に下りて来て救援物資のネスカフェや加工食品を口にするうちに、最初は抵抗のあったそれらの味に次第に慣れてついにはインスタントコーヒーのとりこになってしまったという話を思い出し、日本に帰ったらそういったことについても自分なりに考えて書いてみたいと思っていたのですが、やはり、今回の締め切りには間に合いませんでした。そこで、モンでの生活や資本主義社会について夫と二人で話したことを、彼が企業研修のレポートの中に、やや抽象的ではありますが、うまくまとめてくれていたので、その一部を転載させてもらった次第です。

 ひとたび物の流入が始まってしまえば、流れを止めるのは困難です。それは個人の欲望の範囲を超えて、共同体であるから同じ生活をすべきだという、ひとつの民族内が均一であろうとする全体の見えない意志によるのかもしれません。物の流れは、生活の変化、いわゆる「進歩する方向へ」「将来のために」という西欧的な時間の流れを生み出します。その是非はともかく、そうやって私たち自身も、今在ることよりも、常に先送りされいつ訪れるのかしれない「将来」のために、現在を費やしてしまっているのではないでしょうか。

 子どもたちが遊ぶ休憩台の周りで、笑い、歌いながら、みるみるうちに手で刈り取られていく斜面。食べる分だけを家族で作る生活。自分の手から口へ血のように循環していた労働は、あんなにも明快で爽快なものだったのに、それに比べ、現在の私の、自分の作ったものが社会の歯車のどの部分にどういう形で組み込まれて行くのかさえよく見えてこない、毎日の業務。それが自分の中どころか、社会の中で循環しているのかどうかさえ分からないまま、その代償として手渡される数枚の紙幣をATMの口に投じ、その二十余日の時間をたった一行の印字に変えて残していくだけ。無数に分化され、胃袋までの距離の見えなくなった労働。

 無言でカートに投入しプラスチックのカードで購入した商品の、そこへ至るまでの過程を丁重に蔽っている、包装。そこから生じるごみを、早朝に巡回しどこかへ処理してくれる、収集車。そんなふうに、自分個人の生に物理的な責任を負わずに済むシステムの中で繰り返されている、前後の物語を切り捨てられた断片にすぎない生活。

 モンの彼らの、“悲しみも含めた本当にゆたかな「生」”と、“経済によって代替される”私たちの薄っぺらな「生」。生活するために貨幣を用いるのではなく、貨幣のために生活を費やすという、「倒立した生」。資本主義は、感情や家族関係を希薄にしてまで、どこへ向かおうというのでしょうか。


1995.11


久しぶりに読み返して、このタイトルに笑ってしまった。> 研修レポート『「マイカル桑名」の大きさを見て』
そう、Rのふたつめのレポートは、当時画期的な時間消費型大型商業施設としてオープンした「マイカル桑名」の視察レポートとして書かれたもの。
研修後他の人たちの視察レポートと一緒に一冊にまとめられたんだけど、Rのだけがめちゃ浮いていた。

(写真は数キロある畑への道のり)

山岳少数民族の村滞在レポート ―序―
山岳少数民族の村滞在レポート ―本―
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by karino-tohko | 2006-09-27 22:30 | 異文化の人たち 日本語 | Comments(2)
2006年 09月 27日
山岳少数民族の村滞在レポート ―追―
…は、入力しながら (原稿と一緒にフロッピーが出てきたけれど、古いMacで入力した物らしくwindowsで読み込めないので、入力し直し) 読み返してみて、あまりに言い訳がましくて情けなくなったので、載せるのはパス。 (--)


山岳少数民族の村滞在レポート ―序―
山岳少数民族の村滞在レポート ―本―
山岳少数民族の村滞在レポート ―付―
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by karino-tohko | 2006-09-27 22:20 | Comments(0)
2006年 09月 27日
山岳少数民族の村滞在レポート ―本―
「本」と言いながら実は全然メインじゃない本文。

Kuv moog tom moob lug

― 本 ―

/1995年11月10日、熱にうなされながら

 最後の夜、どうしてあれほどまでに涙が出たのか。あのときの私は、泣きながらも、ただ別れが悲しい、というものとは、少し異質なものを感じていた。もちろん、大好きだった私の家族や一緒に作業していた家族、子ども達の豊かな表情、本当に生きているといえるような生活との別れが悲しかったのは当然だ。けれど、それだけではない気がしていた。
そしてその答えは、ホテルでの深夜の話し合いの時に出た、「みんな今の自分がすごく好きなんだと思う」という言葉の中にある気がした。あれは、あそこにいた私との別れでもあったのだ。

 それはただの、日本でいる時に纏っていた殻を脱ぎ捨てた自分、というだけのものではない。私には、あの、日本での生活や習慣や考え方が通用しない全く新しい環境の中で、もうひとつの新しい人格が一から生まれ直し、ごく短期間のうちに、幼年期・少年期を過ごすかのように成長していったように思われるのだ。わずか数日間とは思えない程引き伸ばされた時間感覚や急速な親密さの中にも、それは表れているような気がする。そして、やっと周囲の物事が飲み込みかけてかけてきた、思春期の入り口ともいえるような時に、そこでの人生が、完結を待たず、強制的に断ち切られてしまったのだ。あれは、ひとつの人格の死とも言えるだろう。あの涙は、その唐突な自分の死を受け入れきれない涙でもあったのだ。「この人生をまだ終わらせたくない」「まだ死にたくない」 確かに、そういった感覚に似ていたのだ。

 話し合いのときに、「普段の生活に戻った後、これが私の“体験”になってしまうのかと思うと、すごく傲慢な気がする。じゃあ、あの人たち(の生活)は何なのだ、と」「体験、経験の搾取だという気がしてならない」という幾人かのことばを聞き、私自身、自責の念に駆られていたが、こうして、あの村での自分の状態と感情を整理した上で考えてみると、あの村での日々は、決して“体験”などではなく、ひとつの“人生”だったと気が付いたのだ。決して詭弁などではなく。

f0000211_2211452.jpg 村でしたことといえば、稲刈りと稲穂集めと脱穀、多くのおしゃべりと歌、食事の支度と食事、水浴び、トイレ。だがこれらは、単に事実の羅列に過ぎない。ましてやそれがひとつの人生であったとするならば、自らの人生を一枚の紙の上に書き記すなど、到底できるものではない。あなたが自分の人生を振り返った時、アルバムに多くの写真があったり、小学生の頃の思い出があったり、仕事の業績などが残っていたりするだろうけれど、それらはすべて断片に過ぎないし、そのどれをも人生そのものと呼ぶことなどできないだろう。それらの場面を現実に生きているその瞬間こそが、有機的な人生と言える唯一のものなのだ。そしてあの村での日々は、まさしくその、人生だったのだ。そして私は、あそこへ戻ることによって、もう一度あの生を永らえることができるのだと思いたい。

(写真は村での私のお父さん)

山岳少数民族の村滞在レポート ―序―
山岳少数民族の村滞在レポート ―付―
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by karino-tohko | 2006-09-27 22:10 | 異文化の人たち 日本語 | Comments(0)
2006年 09月 27日
山岳少数民族の村滞在レポート ―序―
Mさんの通信簿の話を読んで私の記憶にある通信簿との共通点が気になって、あきらめていた通信簿探し (最初の受診の時に持っていこうと探したけれど発見できず) を再開。
通信簿は出てこなかったけれど、代わりに、タイの山岳少数民族の村に行った時のレポートが出てきた。
10年ぶりに読み返してみて、自分で書いておきながら感じ入るところがあったので、再録。
(序・本・追・付と4部構成になっているけれど、一番言いたかったのは「本」ではなく「序」と「付」らしい。
「本」と「追」は言い訳。)


Kuv moog tom moob lug

― 序 ―

/1995年11月8日、タイから帰国した直後のメモより

午前12時。寝静まった通りを、ひとりで歩いて帰る。
空気がとても冷たく、すんと鼻にとおる。空港を出た瞬間思わず息を止めてしまった程、異質な空気。漂白されたような匂いのなさ。
ただの無臭ではなく、作られたもののような、混じり気のない硬さ。肺に冷たい。

明かりを点ける。
部屋の床。素足の下のフローリング。足裏に薄い膜が張ったような感覚。
何も体に触れてこない。

     (―記憶の中に鮮やかな、あのひんやりと堅い床のざらつき、湿り。
       ひと足ごとに意識していた、足裏の感触―)

無音。
リンパ液の揺らぐ音だけ。硬い、静寂。
時々、冷蔵庫の細いモーター音。

―夜、天井で不意に甲高く鳴く虫、深夜に戸をつつく鶏、水牛が草の上で身動きする音。遠い、モンの音―

服を脱ぎながら、8日分の洗濯物の山を見て、妙な気持ちになる。
どうしてこうなるんだろう。どうして洗わないんだろう。
脱いだ後のこれらを、どうするつもりなんだろう。

石鹸と大量の真新しい水が自動的にしてくれる洗濯。
めまいがする。

f0000211_21251434.jpg彼らがここに立ったら、どう思うだろう。
清潔で、明るくて、いろいろなものが揃っていて、
でも、その日ごとに洗っていない、たまった洗濯物と、食器。
ぼんやり、涙が出てくる。

かつてスーパーマーケットで感じていた、過剰さの裏側にはりついた欠如感にも似ている。
目に痛い程ぎらつく蛍光灯の下に陳列された、猥雑に光る赤や紺のアルミ蒸着フィルムや、無数の文字が印刷された無数の箱。
そんなものの中に封じられている、食物という幻想。吐き気をもよおすほど夥しい食品。

シャワーの湯が肌にあたって流れる感覚が、妙にもの遠い。
生温かく、表面を上滑りしていく。
温度を上げても同じ。肌まで届かない。飛沫さえも。
あの、日が沈む前に緑の中でしていた水浴びの、肌を呼び覚ますような水と風と光を思う。

しみひとつないかのような白い浴室。
そこに、どんな意味があるというのだろう。
夥しい汚物が塗りたくられた部屋の夢をよく見ていたことを、思い出す。
なんて、白い空間。
たまらなくなって、ドアを出る。

台所。
ごはんを炊いてくれてある。
炊き上がっているごはんをしゃもじでほぐしていると、彼(夫)がとてもいとおしくなり、指でつまんで一口たべて、泣けてくる。
ua tsaug ntau と心の中で感謝するが、彼に対してか、モンに対してか、ごはんに対してか、不明。

薬を飲むために何か食べようと、冷蔵庫を開ける。
トマトとレタスを買ってあるから食べてね とメモを残していったのに、それらには手を付けないまま、なぜか、白いトレーに入った2個入りのトマトのパックと、同様のパックのレタスの1/4切りが買い足してある。
でも、それらにも手を付けずにおいてある。
なぜこんなことをするのだろう、と、泣けてくる。
理解出来なさにか、もったいなさにか、彼への哀れさにか、やっぱり不明。
私が買っておいた方のトマト2個を食べて、薬を飲む。
8個のトマトと、1個余りのレタス。

部屋の空気が冷房されているようで気持ち悪く、すぐに2階へ上がる。
午前2時30分。とりあえず、眠ろうと思う。
(眠くはない。)
熱、38度5分。

(写真は村の幼稚園の給食皿)

山岳少数民族の村滞在レポート ―本―
山岳少数民族の村滞在レポート ―付―
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by karino-tohko | 2006-09-27 22:00 | 異文化の人たち 日本語 | Comments(0)
2006年 09月 24日
ねんどのハミガキ
突然の災難に見舞われた知人に譲れる日用品のストックはないかと棚の中を探っていると、ボディクレイの 「ねんどのハミガキ」 発見。(@@)
使っている分がなくなったけれどストックはないし、と、BREATH PALETTEのフレーバーハミガキの方を使っていた。
いつ買ったんだっけ??

感覚の過敏なアスペルガーの人には歯磨き粉が苦手な人が少なくないようで、私も苦手。
子どもの頃から歯磨きがすごく苦痛でずっと歯磨きの習慣がつかなかったんだけれど、それが歯磨き粉のせいだと気付いたのは30代半ば。
歯磨き粉の強烈な味や刺激が苦痛で、すすいでもすすいでも口に残る泡や味や薬っぽい感触が気持ち悪かったよう。
なので、ちゃんと歯磨きの習慣がついたのも、素磨きでもいいと知った30代半ば。
その後に「ねんどのハミガキ」を知って、やっと、歯磨き粉で歯を磨くという人並の習慣が身についた。


f0000211_2329290.jpg「ねんどのハミガキ」は、「ねんど」と言ってもサラサラ。
合成界面活性剤も発泡剤も研磨剤も入っていないのに、磨いた後の歯がスッキリツルツルして気持ちいい。
泡がまったく立たないので最初は物足りなく思ったけれど、すぐにハッカ油とティートゥリーの穏やかな味に慣れて定番になった。
残量のわかりやすい透明チューブもうれしい。
(写真は中身が詰まっているので歯磨き粉自体が不透明のもったりしたものに見えるけれど、実際にはやや透明感があって口触りも軽い。)
マイナスイオンが汚れを吸着するしくみなのでマウスウォッシュとしても使えて、朝起きた時には、ねんどのハミガキ1cmぐらいと水を口に含んで、他の事をしながらくちゅくちゅ。
その後水ですすぐだけで口の中がサッパリ。
歯磨き直後でも食べ物の味が変わらないのもありがたい。
強烈な味や合成界面活性剤や発泡剤が苦手な人にはお勧め。

研磨剤入りなら、前に書いたBREATH PALETTEのフレーバーハミガキがお勧め。
BREATH PALETTEは、チューブデザインもぽってりしたねんどのハミガキと違って、真っ白でシンプルできれい。


ボディクレイHP
http://www.bodyclay.info/
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by karino-tohko | 2006-09-24 23:00 | モノ 家 雑貨 蒐集 | Comments(0)