「もう何日も外に出ていない」と書かれているのを目にして、いいなあとちょっと思ってしまった。
前に
「この脳を持って幸せかどうか?」で書いた、「細部に対するいとおしさ、役に立たないごみ溜めのような記憶に浸る」
※時間が私の至福の時間。ずっと家の中にひとりでこもっていたい。
子どもの頃の夏休みは引きこもり三昧だった。
一日中部屋の中で、ぼんやり空想したり時々何か書いたり、色見本帳や風景写真を繰り返し眺めたり。ビーズを一粒ずつ色ごとに選り分けたり、錆の出たドアノブの緩やかなカーブの感触を何度も確かめたり、トイレに並んだ小さなタイルの立体視に耽ってみたり。
押入れの布団の下の方に深く両腕を差し込んではその圧力に安心して、誰もいない家の中で白くなめらかな冷蔵庫が唸り出すのを聞いてはその振動にうっとりして。
開け放した窓ごしに時折り聞こえてくる自転車の音や風に乗って届く物憂い昼下がりのテレビの音にただ耳を澄ませているのも好きだったし、ひんやりとした廊下に寝そべって極端な遠近法で遠のいていく木肌を遠い大地の風景を思いながら眺めているのも好きだった。
いろんなことばや陰影や物音や手触りが記憶の中の無数の風景や情景の断片を呼び起こして、ただそこに浸っているだけで幸せだった。
一日はとてもゆっくり過ぎていって、本を読む時間は無限のようにあって。
至福の日々。天国の日々。
大学を出ていったん就職して辞めたあとも、しばらくずっと一日中家の中にいた時期があった。ひたすら好きなものを眺めて、好きな世界に思い馳せて。そういう時期が私にとっての充実期だったように思う。
ずっと部屋にこもってこれといって何もしていない日々が充実期。充電期、ではなく。
今はほとんど外に出ぱなっしで、いろんなことに追われっぱなしで、自分の中がからっぽなように感じる。
※ ニキ・リンコさんの講演中のことば