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2007年 12月 21日
「この脳を持って幸せかどうか?」
停滞中。
やんばる先生のブログ「意味不明な人々-発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む」にあった 「この脳を持って幸せかどうか?」 という問いかけに、停滞していたアタマがちょっと反応。
そのことばに、ニキ・リンコさんの講演で聞いた 「たまには思う存分やらないと自閉症に生れてきた値打ちがない」 ということばを思い出した。
「細部に対するいとおしさ、役に立たないごみ溜めのような記憶に、たまには浸る。
こういう私に生まれて来てよかったと思いながら死ぬためには、本来の生理条件で生きて、本質と共存して…」
(リンコさんの講演の覚え書きより)
(…だったかどうか。講演を聴きながら書き留めたメモが半端なので、最後の一節は違ってるかも。)


やんばる先生に質問された人や先生の話のポイントとはズレるけれど、私は、この脳を持って幸せだと思っている。今は。
と言っても、それを判断するのもこの脳だし、この脳しか知らないので、別のアタマだったらもっと楽でもっと幸せだったのかも知れないけれど。
以前はもっと生きることが辛くて、セルフエスティームがとても低くて、なんでこんな間違った場所に生れてきてしまったんだろうと何をともなく恨んでいた。
もう一度子ども時代からやり直せと言われれば耐えられないほど、イヤな記憶が多かった。
でもここまでやってきた今は、このアタマもそう悪くはないかと思っている。


子どもの頃、私はキタナくてうるさくて勉強ができなかった (となぜか思い込んでいたけれど、後になってから成績表を見たら、良くはないけれどそう悪くもなく、ごく普通だった。ただ体育と図工が「1」や「2」だっただけで。4年生から卒業まで3年続けて担任だった先生の私の扱いからか、なぜか自分はひどい落ちこぼれだと思っていた) ので、小学校の担任やクラスメイトからの評価が低く、自己評価もとても低かった。
以前は子どもの時代のことを思い出そうとすると、その時代がどす黒い水の底に沈んでいるように感じたほどに。

その後中学に入った頃に「自意識」というものが芽生えてきて、「自分」という独立した意識を感じ、「世界」と「自分」は別物だったんだと知って衝撃を受けて、
「他の人たちも、『自分』という意識をこんなふうに感じることができるんだろうか。世界をこんな風に認識しているんだろうか。それとも、私だけがこれを知ってしまったんだろうか」
と、不思議でならなかった。
今にして思えば、人間ひとりひとりに自意識があってそれぞれ考え内省して行動しているのは当たり前のことだけれど、その頃そのことに衝撃を受けていたということは、それまでの私は何も考えず、動物のように反射と本能と喜怒哀楽だけで生きていたらしい。
中学1,2年の頃の私は、まるで目の前に立ち込めていた霧がある日突然晴れるように、時々そうやって突然何かを理解して視界が開けて、急に世界の見え方が変わることが度々あって、
「私の成長の仕方は、踏み幅の広い階段を登るように、ずっと平らな道を歩き続けて時々急にガタンと一段大きく段を登るようだ。それまで見えていなかった何かを理解するたびに突然世界がガラリと変わって驚くけれど、他の人もこうなんだろうか。普通はもっと坂道を登るように徐々に成長して変化していくものじゃないんだろうか」
というようなことを図解付きで日記に書いた覚えがある。
その頃はそういった自分の変化 (世界の変化) がとても不思議で興味深く、でも、当時国語の先生から 「君なら卒業までに図書室の本を全部読破できる」 と冗談を言われたほど本を読みふけっていたにも関わらず、誰もその不思議な現象について何も書いていなかったので、それが自分だけに起こっている変化なのではないかと思ったらしい。
(数年前にある人から 「アスペルガーの人には、突然それまでと世界がガラッと変わって見えるような意識の変化が起こることがあるらしい」 というような話を聞いてそれだったのかと思ったけれど、一般の人はどうなんだろう。)
また、自我や自意識ができてきたことで、それらがうまく機能していなかった頃の自分の言動を思い返しては激しい自己嫌悪に陥ったり、その後も考えなしに口に出したことばや行為を直後に激しく後悔したりで、意識が目覚めて「物事を考え理解している自分」と客観的に見て「イタイ自分」との間で自己評価は安定せず、感情は泥沼化。
その意識の成長と前後して、ずっとバカだと思っていた自分が小学校入学時の知能テストで学年で一番だったと知って、じゃああの落ちこぼれ状態 (では実際はなかったんだけれど、確かに算数はLDっぽく、社会科などは雲をつかむようで流れが把握できず、アタマがいいにしては物事の理解が悪くて自覚が欠如していて不潔で忘れ物がとんでもなく多くて) は何だったんだろうと合点がいかず、何かおかしいと思い始めた。

その後中学・高校と、自意識が芽生えるにつれて何かにつけ周囲との違和感を強く感じるようになって、自分ひとりだけが、まったく別の世界に生まれるはずだったのに誤ってここに来てしまったかのように感じて、どこかにきっと私が生きるはずだった世界があるはずだ、どこかにきっと理解し合える仲間がいるはずだと信じ、いっそのこと早く死んで早くその自分がいるべき世界に生まれ直したいとまで思い、ここではないどこかを強く求めるようになっていった。
周囲からの無理解や嘲笑には、「私はあんた達とは違うんだ」「あんた達なんかに私が理解できるはずがない」 と硬いガラスを張りめぐらすように周りを見下すことで、なんとか自分を保つようになっていた。
そして、小学4年から6年の間私をバカにしていた担任に「1」や「2」を付けられていた図工が、中学になった途端に芸大出の先生から「8」から「10」を付けてもらうようになって、そういえば小学低学年の頃は私の絵だけ金紙を貼ってもらったり新聞に載ったりしたこともあったっけと思い出し、それまで絵を書くことは苦手で苦痛だと思っていたのに、いい評価をもらった途端に描くことが気持ちよくなって、行き場がなくなっていた気持ちを絵や詩を書くことで吐き出すようになっていった。


ああ、短く書くつもりだったのに、いつの間にか生育暦のようになってしまってる。
このままでは思いっきり長くなりそうなのですっ飛ばすけれど、そうやって、息が詰りそうな小さな世界の中で絶望して潰れないように必死で自分を支えていたけれど、その後居場所を見つけて、虚勢を脱ぎ捨てて自然に息ができるようになって、自分を肯定できるようになって、失敗を繰り返しながら世の中のルールも覚えて、ようやく、なんとか自分なりにやっていけるようになってきた。

アスペルガーやADHDがあるために、今も会社での人間関係のトラブルは絶えず、仕事もいつもアップアップしていて、家もぐちゃぐちゃで、物事を引き延ばして問題を先送りしてきたせいで損失も大きく、取り返しのつかないことも多々あり、時々激しく気が滅入るけれど、それでも 「この脳を持って幸せだ」 と思えるのは、「細部に対するいとおしさ、役に立たないごみ溜めのような記憶」 に浸る快感があるからだろう。

簡単な目玉焼きや納豆ご飯がこのうえなくおいしくて、毎晩それでも満足で、暖かでとても肌触りのいい布団で眠れて、それがたまらなく幸せで、そうやって食べることと屋根の下でその布団で眠れることは本当に奇跡のようで有り難くて、そのうえ、その家が自分の好きな色や素材で出来ていて、しっとりとした凹凸のある艶消しの壁の塗装も、滑らかなタイルの丸みも、かさかさと乾いた光を放つ白い漆喰も、ドアノブの真鍮の柔らかなカーブも、ぽってりとペンキが塗られたドアの手触りも、そこに嵌められた薄いガラスも、そのガラスを支える細い木枠も、その木枠に留められた小さな螺子も、螺子の周囲に微かに浮いた木屑も、何もかもがいとおしく、心地よく、それら無数のものに囲まれていて、書斎には無数の本があって、写真集や絵があって、音楽や映像があって、何時間でもそれらに浸れて、それらを思い起こすだけで、震えるような感動や、抑えられない昂ぶりや、頭が真っ白になるような恍惚を感じられて、そんな作品の記憶がなくても、ひとつひとつ選り分けたガラスビーズの色や、斜めに射し込む西日や、夏のテーブルの上に置かれた冷えた牛乳パックや、そういった遠い記憶のかけらにいつまでもうっとりと浸っていられて。
その感覚は、本当に何にも換えがたいものだと思うし、その脳内麻薬があったから、潰れずにこれまでやってこれたと思う。

このアタマに生れたからには、浸って満喫しないと値打ちがない。
本当にそう思う。
by karino-tohko | 2007-12-21 21:36 | A-spectrumの脳みそ
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