去年の冬のRとの会話。
「今日、税理士と話をしてきた」 と、R。
「先生はなんて言ってた?」
「いいんじゃないかって」
「ほんとに? 会社を売っていきなりふたりとも無職になって、どうやって生活していくの? 経営者には失業保険もないし、この歳で元経営者なんて、働き口見付からないよ」
「あの会社、この会社を5,000万円で買ってくれるんだよ。それでなんとかなるよ」
「そんなの、借金の清算で全部消えるでしょ」
「借金はそれとは別に払ってくれるんだよ」
「えっ!?」
会社の借り入れ金は億単位ある。(売上も年5億円以上あるけど)
それを全部肩代わりしてくれるって??
「それに、すぐには無職にならないよ。売っても数年はこの会社にいなきゃいけないし」
「なんで?」
「引き継ぎしなきゃいけないでしょ」
「えーっ、会社の人たちに裏切り者だって恨まれながら居続けるなんて、イヤだ」
「だからそうならないよう、うまく話を収めるために考えているんだよ」
売って「じゃ、ばいばーい!」と逃げ出して、会社の人たちからは恨まれ、家やお金は借入金の清算で消え、収入もゼロになって、翌日からどうやって食べていくのかと心配していた。
そうじゃないのか。
ワーキングプアや収入ゼロだった時期から抜け出して、長年抱えてきた会社の債務超過が消えた後のこの3年間、ピーク時には、世帯年収は額面上1,800万円にまでなった。
まあ、そこから、給料ゼロだった頃に会社に借りた生活費を返済したり、親の代からの負債を返したりはあるけれど、この収入があと5年くらい続いてくれたら、子どものいない老後の備えもいくらかできるだろうかと踏んでいた。
その年収を手放してでもいいから、この会社から、この生活から逃れたいと願ったR。
「会社辞めて、どうするの?」
「さあ」
「仕事は?」
「また何か考えるよ」
学生の頃、誰よりも、社会に出てやって行くのが困難そうに見えたR。
大学の研究室に残ってひとりで好きな研究や創作に没頭するはずだったR。
あの気質や性格ではきっと会社勤めなんてできないだろうから、もし一緒に暮らすことになったら、私(自身も社会に適合しているとは言い難かったけれど、Rよりはマシかと)が働いてRを養おうと思っていた。
それが、親の負債のために、卒業後は研究室を出て親の仕事をほぼ無給で手伝わざるを得なくなり、さらに、親が急逝したことで、頑に拒んできた会社を継ぐことになって、Rは自分の時間を捨て、365日無休で毎日14時間近く命を削るように働いてきた。
そんなRが、やっと手に入れることができる自分の時間。
失われた20数年分、好きなだけ本を読み、物を書き、思索に耽ればいい。
Rの思索の時間のためなら私が働こうという気持ちは、今も変わらない。
さあ、どうなることか。
・・・・・・・・・・
…と、去年、半年かかって気持ちを固め、「今月から引き継ぎが始まる」というところまで日が迫ってから、突然、話が白紙撤回されてしまった。
あと一歩で手に入るはずだったRの自由時間。
それが今回、また一気に遠のいてしまった。
どうなることか。
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