先月帰省して母の部屋を掃除したときに、作業台の上の重い大きなケースを開けたら、懐かしいミシンが出てきた。
最初足踏み式ミシンだったものを、私が小学6年生の頃、母が業者に頼んで卓上型の電動式に改造してもらったものだ。
子どもの頃、着るもののほとんどは、従姉からのお下がりか母の手製だった。
小学校の制服や帽子も、母が他の子の制服を借りて型をとって似たような生地を探して縫ったもので、ひとり、みんなとは少し色合いや素材感の違う制服で通っていた。
でも、みんなと違うからいやだという気持ちよりも、周りの制服よりも半端なぼんやりした色合いと、ぼってりした化繊の生地と、もろもろまとっていた毛玉がいやだった気がする。
あまり周囲が見えていない、自我のぼんやりした小学生だった。
それにしても、あの母親が、あの頃よくあんなにあれこれ作ってくれたものだと、よくあんなにマメに物事をこなしていたものだと、つくづく思う。
かたん、かたん、かたん…かっしゃかっしゃかっしゃ…という足踏みミシンの音が家の中でよく響いていた。
ミシンの音がしなくなったのは、妹が中学に上がった頃だったか。
母の本来の横着さが出てきて掃除をしなくなり、母の作業台の上に繕い物やアイロン待ちのものが年単位で山積みになってきた頃、去年着ていた制服のシャツがないとかで母の作業台の上の布の山の中を探っていた妹が、
「わ、これ!」
と、黄土色の長いかたまりを取り出した。
「お母さん! これ、小学校の時にお母さんに作ってって言ってたヘビのぬいぐるみの作りかけやん!」
「ああ、そうやね。中にぼろ布詰めてたんやけど、なかなかいっぱいにならなくてね」
出来上がる前に必要なくなってしまったぬいぐるみ。
小学時代がはるか大昔に思えた十代の私は、やりかけのまま5年も6年も放置していた母の引き延ばしに驚いて、お母さんはおかしくなってきたんじゃないだろうかとショックを受けたんだった。
けれど、おとなになってみると、5年なんてあっという間。
やりかけの物は10年単位で放置されている。
いつの間にこんなに時間の感覚が変わってしまったんだろうと驚く。
覚え書き。
月曜日に妹から、母が退院したとの連絡あり。
「入院してても、ただ一日ベッドで安静にしてるだけで、
リンパ浮腫のマッサージは結局自分でしなきゃいけないんやて。それやったら家にいてもおんなじやし、お父さんここにいたら悪くなる一方みたいやから、退院してもらって家でみてもらうことにしたわ」
病院でいる間はちゃんと正しいマッサージを受けられているものだとばかり思っていたけれど、違ったのか。
「足の腫れはましになったん?」と訊くと、「まあ、ちょっとはましになったんかな」
うーん…。
「お父さんの方は?」「自分の家に帰ったら、ちょっと落ち着いたみたい」
よかった。
ただ、あんな状態の父といることで、母にストレスがたまって体に障らないかが心配。