最初の記憶なのかどうかわからないけれど、古い記憶で時期がはっきりしているのは、私に妹が生まれる前の3歳の終わり頃の、夜の記憶。
小さな家の和室で両親に挟まれて川の字に寝ていた時に、両側の両親が、もうすぐ生まれてくる子の名前を相談していたのを覚えている。
天井の豆球が部屋をぼんやり暗いオレンジ色に照らしていて、枕元には、上に小さなこけしなどが入った人形ケースの載った、緑がかった合板の和箪笥があった。
何か「不思議な話をしている」と感じていた覚えがあるので、もうすぐ誰かが生まれてくるということが、意味がわかるようでわからず、さらに親がその「名前」を考えているということに、驚きを感じていたのかも知れない。
物の名前(名詞)と同様に、人の名前も最初から決まっているように思っていたようなふしがある。
長い間、その光景と一緒にその時の両親の声も耳に残っていたので、小学生くらいまでは、その時親が候補に挙げていた名前もふたつほど覚えていたんだけれど、もうすっかり忘れてしまった。
もうひとつ、同じ頃のものらしい記憶がある。
その頃住んでいたその小さな家のすぐ近所には父方の祖母の家があって、車の通らないごく細い路地で行き来できたので、当時私は、ほとんど毎日のようにそこに遊びに行っていた。
いつもは親に「おばあちゃんちに行く」と言って家を出ていたけれど、ある朝、目が覚めると両親がまだ眠っていたので、私はひとりで退屈したのかおなかが減ったのか、黙って家を出ることにした。
母親の手製のネグリジェ姿のままだったけれど、絵本で見るドレスと同じようなものに思えたので、これが寝まきだということを知らない人にはドレスに見えるに違いないと信じていたら、途中、すれ違った近所のおばさんから
「あら、おばあちゃんちに行くの? 寝まきで?」
と。
えっ、なんでバレたの??と驚きながら、「これ、寝まきちゃうねん。ドレスやねん」と主張。
おばさんは「寝まきやんー」と笑いながら通り過ぎて行った。
「なんで寝まきだってことがバレたんだろう」と不思議で不思議で仕方がなく、「私は寝まきにしてるけど、ほんとはドレスとおんなじなのに」という不満もあって、それから何年もの間、結構大きくなるまで、それらの違いについて考えていた覚えがある。
そもそも私は似た物の区別がつきにくいタチで、高校生になっても、今自分が食べているものがじゃが芋なのかさつま芋なのかの区別もつかないような状態だったので、絵本や子供向けのテレビ番組でしかドレスを見たことがなかった私にその違いがわかるわけがなかった。
妹ができる4歳前までのこのふたつの記憶は、どちらも、その頃の私にとって「世界には私には理解できないことがある」と強く思えた、不思議で驚くべき体験。
今これを書いていると、驚く内容に違いはあれ、私ってその頃からあまり成長してないなあと思えて仕方がない。