昨晩、たまっていた録画を消していこうと見た、「なまえをかいた ~吉田一子 84歳~」。
60歳を過ぎるまで一度も鉛筆を持ったことがなく読み書きのできなかった吉田一子さんのドキュメンタリー番組。
60歳を過ぎてから識字教室に通ってひらがなを覚え、自分の名前が書けるようになって、作文で思いを書き表すようになった一子さん。
文字を覚えたことで世界が変わった。
「えきでらくがきをみました。びっくりしてはらたって なみだがでました。
なにかんがえてるんやろね。
だいじなかわいい字つこてひとのわるぐちかいて ばちあたりまっせ」
それまでの60数年間は、「ばか」と書かれたらくがきも読めずに来た。
「字は大事なもんやとおもてるのに、いたずら書いてあったの見て、くやしいて涙とまりませんでした」
「字はかわいい 字はたから」
母という字を書くのに84年かかった一子さん。
一文字ずつ、ゆっくりゆっくり丁寧に、ことばを綴る一子さん。
一子さんが一生の間に読む文字は、私が一日に眺める文字よりも、もしかしたら少ないかも知れないほど。
飽食気味に浪費される文字。大切に大切に、慈しみ掬い取られる文字。
…にしても、60数年間、身の回りにあふれる文字をどれひとつ文字として読まずに来るというのがどういう感じなのか、かつてハイパーレキシアっぽく強迫的に文字を見てきた私にはイメージできない。
いや、教わらなくても勝手に読めるようになるというのがどういうふうに起こるのかも、今の私にはもうわからないけれど。